楽しくて深い大きな戯曲に真正面から取り組んでいて、すがすがしい舞台だ。
多彩なレトリックの影に隠れた戯曲の硬質さに必死で喰らいついていってそのの本質に迫り、その表現も素朴な形ながら変幻自在さの片鱗を感じさせた。戯曲と格闘して自らのものとした野田秀樹の世界がそこに確かにあった。
シャム双生児の少女姉妹。美しいが頭が弱いマリアと、醜いが賢いシュラ。ないがしろにされる不幸を嘆き、「孤独」を望むシュラ。
10歳の誕生日、どちらか一人としなければ生き残れないことが判明し、分離手術を受けることになるが・・・。
この舞台を観ていると、既存戯曲であっても演出や演技の工夫で内容がびっしりと詰まった舞台になることがわかる。高校生らしい素直さ柔軟さをもって、変な先入観や手抜きなしで突き進み、結果、戯曲の魅力が十分に引き出されていて、その創造性は高い。
この戯曲にどう取り組んだかの軌跡がかなりはっきりと舞台に顕われていて、そのことを通してこの戯曲のおもしろさを分からせてくれた。シャム双生児であることの何という不自由さ。それはそれできびしいが、どちらか一人しか生きられない残酷さが大きな問題として立ちはだかる。分離手術は成功するのか、そして誰が生き残るのか。
こう見てくると、この戯曲が作劇の基本をきっちりと押さえているのがわかる。そしてさらに、分離手術という激しい変換点で、野田らしいスパークした表現は夢幻を呼び起こし、異次元の世界を見せてくれる。
このように書けるのは、戯曲とじっくりと取り組んで読み取った結果を、舞台に直截に表現してくれているおかげだ。
しゃべりも動きもかなり重いけれど、シーンを強調する間の取り方、フォーメーションや動作でうまく表現しているのは特筆に価する。シーンを繋ぐ展開も悪くない。戯曲を自らのものとして舞台に定着させてやろうという気概が、緊張感あふれる舞台を作った。
カーテンコールで、先生役の山口浩太郎が立っておれない状態になった。ギリギリまで挑戦しているのがよくわかった。
この舞台は、ぽんプラザホールの火曜劇場シリーズのラストの作品で、きょうとあすで3ステージ。初日のきょうは、若干空席があった。
火曜劇場は、この作品も含めて見応えのある舞台が多く、週末の公演よりむしろレベルは高かった。
激動ミキサーは、福岡市内の高校演劇の学校横断的な劇団で、メンバーはこれからそれぞれの道を歩むことになるという。ここにある福岡の演劇を支える才能が、大きく花開くことを願う。