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《2005.4月−1》

舞台のおもしろさをうまく伝えるのは、もう大変
【砂の絵の具 (太陽族)】

作・演出:岩崎正裕
2日(土) 15:05〜16:50 西鉄ホール 招待券


 おもしろかったのに、いろいろ考えていたら、頭痛くなってしまった。
 舞台のおもしろさをうまく伝えるのは大変で、力不足を感じてしまう。

 中学校の美術準備室で、不登校の女生徒・藤村が10年前の美術部の日誌を読んで、夏休み後に美術部員の野口が突然いなくなっていることに気づく。
 10年前のその時代に何があったのか。舞台は、いまこの学校で教員をしている稲垣がこの学校の美術部員であったその時代と現在とを行き来しながら、その時代の野口が死んだことと、いまの美術部顧問の安藤が何者かに殴られて重体であること、その深層に迫っていく。

 あらすじを書けば、ミステリーにも時空を飛ぶド派手な芝居にもなるかなと思ってしまうが、この舞台はそのような幻惑的舞台ではなくて、徹底的にリアルに描かれる。「10年前」も、もうひとつの時間帯として現在と同じように描かれる。
 その上にリアルを突き抜ける仕掛けを作って、10年前と現在とをちょうどパイプを通すように繋ぐ。10年前と現在の両方にいる人は当然いるが、10年前にはいるはずのない人がいかにもいたり、現在から10年前に渡ったデッサン帖が関わった事件で異形のものが出現し、現在にタイムスリップして事件を起こしたりと、パイプを通ってぐるりと連環する。
 恋のまじないが異形のものを呼び起こすというオカルトは、衝撃的ではあるがオカルト臭は弱い。不思議な舞台空間だが違和感は少なく、全体がなつかしいようなベールで覆われているという印象だ。
 岩崎正裕は、ものすごくリアルな表現だからこそ不分明や矛盾を際立たせ、その不分明や矛盾で屹立する思いを噴出させる。それもあくまでも静かに。

 オープニングで野口の手紙を読むとき、砂のこすれるような短いノイズがことばをカットするように入るが、虫食い式の試験問題のようなそのやり方で想像力を刺激する。不分明や矛盾によって真実をぼやけさせるることで、観客の想像力を刺激する。一人の俳優が二役を演じるキャストなど、含みを持たせる工夫がいたるところにあるのもそのためだろう。舞台の幅が広がり、それを観て感じる幅を広げている。

 この舞台は、きのうときょうで2ステージ。空席が目立った。


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