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《2005.4月−5》

半径5メートル以内の、至福
【イッセー尾形のとまらない生活2005 IN 博多 (森田オフィス)】

作・演出:森田雄三
15日(金) 19:05〜21:25 イムズホール 4000円


 久々のイッセー尾形はもうメチャメチャにおもしろかった。
 10分強から20分の作品が8つというぜいたくさ。そのうち7つはこんど博多で初演という新作だが、ひとつとしてつまらないというものがない。まぢかで観て表情までよくわかっったこともあって、そのおもしろさを堪能した。

「ラストステージ」
 53歳のキャバレー歌手・ツヤマヒロシのラストステージ。ランニングの上に革ジャンというスタイル。ステージ前の時間に支配人を相手に、引退後の夢のような話をくりひろげる。そしてラストステージでは、フランク永井ばりの都会調演歌をただれたように歌う。
 上滑りする夢を上滑りすることばで語って、ツヤマヒロシの上滑り人生のほろ苦さが迫ってくる。

「老闘士」
 労働組合の勉強会での、老境の前委員長。はじめはおとなしくしているが、豹変して熱弁。その内容の大時代ぶりに偏見と個人的なエゴが混じる。だが、介護施設からいなくなった痴呆の父親をみんなが勉強会を中断して探してくれることになると、ふたたび豹変。
 イデオロギーを振りかざしながら実態は会社べったりの組合活動というところまでわかってしまうところなど、みごと。

「家政婦」
 物を捨てられない病の妻のガラクタを捨てさせるために夫が雇った家政婦は、パブ勤めから転職したばかり。はじめはしおらしいが、慣れてくると高飛車に出たり、妻にベッタリに豹変したり。
 短いなかで人物を豹変させることがイッセー尾形の特徴かと感想を書いていて思ったが、その豹変にちゃんとした根拠があり、台本の完成度は高い。

「民宿の主」
 作務衣姿の民宿の主人の、自作の詩を聞きに来てくれた行きつけのスナックママとの会話。実は、スナックママは民宿の主人を口説きに来ていた、それがわかったときのまんざらでもない表情で、すべてがストンと納得がいく。

「父と息子」
 スタンドバーでの父と息子。息子はしごとをやめてスペインでコックになるという。「父のようになりたくない」という息子に、何となく納得してしまう父。
 虚勢を張った自分の現状に無理に満足してしまおうという父の心を、息子のことばが波立たせる、そのあたりの機微までを感じさせられる。

「観光案内人」
 朝、3人の客のうち早く来たひとりと話す若い観光案内人の男。うわさ話のなかで、その客も他の客もみんな変人にしてしまうが、本人こそいちばんの変人。
 この観光案内人がしばらく日本に帰っていないということが、その話し方と話の内容からわかるというレベルだ。

「卒園式での語り聞かせ」
 卒園式での女性の先生の、チェロを弾いての語り聞かせ。ヘンゼルとグレーテル、赤ずきん、白雪姫、ブレーメンの音楽隊、ねむり姫、ジャックと豆の木などがゴチャゴチャになった話に、演奏や楽器による擬音が入ってものすごく楽しい。
 単なる演奏だけでなく、擬音にまで楽器を効果的に使いこなす、その技量にはびっくりする。

「引っ越し君」
 深夜の引っ越し作業に来た引っ越し君。家には母と幼い男の子のふたりで、引っ越し荷物はふとん一組だけ。そのふとんには、父親の死体が折り曲げて丸め込まれているらしい。
 どこまでがほんとうか、引っ越し君にも観客にもよくわからないというミステリーで、何とも不可思議な気分になる。

 まったく違った8人の人物が確かに存在した。
 「父と息子」の父の顔は、いかにも会社の部長という顔で、イッセー尾形の素顔とは似ても似つかない顔つきの人物になっている。イッセー尾形が消え去るという演技は他の役でもそうで、作り上げられた人物だけがそこにいる。

 きょうは当日券で最前列中央部に座れてものすごくラッキーだった。その表情のすごさ、大きくてリアルな演技を目の当たりにできて、もう至福のときだった。かって渋谷のジャンジャンで観たころのぜいたくさを思い出した。
 このステージは14日から17日まで4ステージ。ホールいっぱいの観客で満員だった。
(題名は薙野がつけたもので、正式のものではありません)


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