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《2005.5月−2》

趣向、たっぷり
【野田版 研辰の討たれ (歌舞伎座)】

作・演出:野田秀樹
5日(木・祝) 19:15〜20:50 東京・歌舞伎座 1300円


 観たくてしょうがなかった舞台だが、観終わったときには、連発されるたくさんの趣向が劇的効果を弱めているように感じられた。趣向を並べ過ぎて、却って舞台を軽く平板にしてしまったように思えたからだ。
 だがそう感じた割りには、ゆったりとした心地よさが残り、それが後を引く。普通の仇討ち話と違うし、ことはそれほど単純ではないようだ。その後の引き方から見て、どうやら野田マジックに引っかかってしまったらしい。

 元は刀の研屋の辰次(勘三郎)は、殿様の刀を研いだ縁で侍になるが、武芸は全くダメで家中の侍(獅童、七之助ら)にバカにされる。家老(三津五郎)に散々打ちのめされてその仕返しをするが、仕掛けがうますぎて家老は死に、仇として家老の息子(染五郎、勘太郎)に追われることに…。

 研屋が武士を殺した事件を元にした「敵討高砂松」から想を得て、大正時代に木村綿花が「研辰の討たれ」として書き、平田兼三郎の脚色で大正14年12月歌舞伎座で初演されたものを、2001年に野田秀樹の脚本・演出で上演されて話題になった。
 眼目は、武士が軽薄にも見える町人上がりの研辰を仇とつけねらうことと、その何とも軽い研辰のキャラクタだ。おしゃべりで誰にでもお追従するかと思えば、実は言いたいことはさりげなく言う研辰。そのようなキャラを勘三郎が、細やかにやわらかに、ときにはややぶっきらぼうに、全体的には軽やかに演じる。喜劇もこなす勘三郎ならではの軽やかさだ。
 それにしても、上記以外にも橋之助、福助、扇雀などぜいたく極まる配役。たくさんの群集役の役者まで含めて、みなのびのびと楽しんで演じている雰囲気が伝わってくる。

 オープニングの道場での稽古シーンの巨大なスクリーンへの投射や、廻り舞台をダイナミックに使ったおっかけなどの大きな演出もさることながら、くすぐりとも見える小さな趣向が、時には本筋を無視してこれでもかとばかり繰り出されるのが特徴だ。例えば、お笑いブームを反映してか、染五郎、勘太郎に、レギュラー、アンガールズ、波田陽区のギャグをやらせるといった具合で、時事ネタや、時代設定を無視したカタカナ語なども満載。ミュージカル調まで行ってしまうだんまりなど、思いついたことは何でも詰め込んどけ!という風にさえ見える。見方によってはうざいと思えるほどだ。
 脳卒中で死んだのを武士の名誉のために斬られたことにしたばかりに、討たなくていい仇を討つことになった発端から、群集や婿探しの姉妹などを配して仇討ちブームの移り気を撃つなど、仇討ちの謹厳なところを壊しつづけるのだが、うざいと思えるほどの趣向がそのようなばかばかしさを加速する。盛りだくさんの趣向を延々と開陳しつづけて”のっぺり”と感じさせるというのは、この舞台のねらったところとも言えるだろう。
 観た直後の不満は、期待が大きかったこと、仇討ちへの予断があったことに加え、息子の結婚式のあと家族の顰蹙を買いながらも劇場に向かい、4階の一幕見席の最後部で立ちながら双眼鏡を覗きつづけた疲れのためもあるかもしれない。

 この舞台は、十八代目中村勘三郎襲名披露興行の3ヶ月目の夜の部の最後の演目で、3日から27日まで。満席だった。


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