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《2005.5月−4》

つまらない原因は、観客無視の姿勢
【太陽に花束 (ゲキダン:ロックンロール・ツアー)】

作・演出:大竹謙作
15日(日) 14:05〜15:40 ぽんプラザホール 1500円


 相変わらずどうでもいいことにこだわり、作ることだけに満足していて、甘えと幼稚さのにおいのする産劇系の演劇の欠点がそのまま顕われているという舞台だ。そのような欠点を克服しようという気もないようだ。
 この舞台と方向性が似ていると思われる「ド派手な演劇」に近づくためには、人物の思いにさらに肉薄し引っ張り出すこと、そして、舞台での最大限の表現をすることが必要だ。

 ドーム状の屋根で覆われた国家「クロガネ」での、象徴・御人の女性継承者、13年前のクーデターの首謀者の息子、新しい民間テロ組織の三つ巴の戦いを描く。

 というのが大まかなストーリーだが、下手なギャグなどの夾雑物が多すぎて決してわかりやすくはない。さらに、人物の描き方が類型的で形ばかりのために三つ巴がいっこうに絡まず、だからドームが開くラストも何なのさ!といった感じしかない。
 人物が魅力的でないのは、変なキャラばかりが強調されていて、肝心の人物の思いがちゃんと描かれていないからだ。13年前のクーデターの首謀者の息子・文字は、クロガネをどうしたいというのか? それは、象徴・御人の女性継承者・テラスも新しい民間テロ組織の長・マルコムも同じことで、そこが弱いから絡みが出てこない。ここは主要な人物に、スポットライトを当てて長い独白をやらせてもいい。そのようなしつこい掘り下げを装飾的なセリフもまじえて行い、それを俳優が激しく魅力的に語り、さらにそれを大げさで切れのいいテクニカルで強調すればいい。

 スライドを多用しているが、やりにくいところ(=実は大事なところ)をスライドに逃げているのが問題だ。スライドは情報伝達はできても、表現としては弱いから印象に残らない。スライドが印象に残らないのは説明的にしゃべられるセリフ以上だが、そのことをこの舞台は勘案していない。
 この舞台では、国家を覆っていたドームが開くといういちばんの見せ場さえもスライドでさっさと済ませてしまう。ドームが開くシーンをやって、そのなかでの人物の表情を見せてこそのこの舞台ではないのか。作・演出が何を考えているのかわからない。

 観客へのメッセージで作・演出が、「作り上げる様がたまらなく快感」というプラモデルと演劇をいっしょにして、「なので作った後ってどうでもいいんですよね」としているが、それはないだろう。だったら、そんなものを見せられる観客とは何だ? ここまで堂々と観客無視を宣言されたのでは、たまったものではない。そんなふうだから独りよがりの舞台しか作れないのだ!と毒づきたくもなってくる。

 この舞台は、きのうときょうで3ステージ。少し空席があった。


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