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《2005.6月−12》

理屈を超える舞台に、必要なものは
【紫雲の涯て2005 (SAKURA前戦)】

作・演出:石井亮 
19日(日) 18:00〜20:05 早良市民センター 2800円


 おもしろそうだと思うことを、ド派手に思い切りやっているのはいいし、楽しめる。
 ただ、無理やりにでも感動させてやれという気が強すぎるのと、俳優の表現力が今ひとつのためだろう、詰めの甘さが気になる。

 衣川の戦いでまさに殺されようとしていたときに、現代にタイムスリップしてしまった義経。義経が現れたところは、静と京という姉妹の家。義経はたちまち人気者に。
 衣川の戦いで死んだ弁慶らの家来たちは、黄泉の国の入り口で義経を待ちつづけるが義経は現れず、しかたなく義経を追いかけて家来たちの霊も現代に現れる。

 派手な照明と大音響に、音楽とダンスで盛り上げる。武士姿の義経らが現代人と同じ空間にいるというのもおもしろい。
 静と京の姉妹の関係と、義経と頼朝の兄弟の関係とを対応させて、その互いを思う気持ちとライバル意識という愛憎を引っぱりだしていく。
 展覧会に落選したことで絵をあきらめる静に、出版される自分の童話の挿絵を京が頼んだことが、静のコンプレックスに火をつける。ライバル心剥き出しの本音が噴出し、姉妹は反目する。これは、義経と頼朝の兄弟の関係と同じだ。
 この舞台では、そこからさらに一歩踏み込んでいくことで姉妹はさらに理解し合うことになるのだが、これは義経と頼朝の関係には対応しない。

 パンフには「どうぞ『理屈を超えて』ご覧下さい!!!」と書かれているが、フィクションだからこそそういうところのリアリティが必要なのではないか。だからもう少し。
 歴史上の人物にとっては、兄弟の命よりも権力のほうが大事というのが普通だから、義経が「夢を食べて生きてやる」と言ったところで絵空事に過ぎない。そのような「夢」と折り合いのつけようがない歴史の現実を、この舞台ではもう一段の高みでどう折り合いをつけていくのか、そこが見たかった。

 この舞台では、武士たちのほうがメリハリがありそれらしくて、平板な現代人よりちゃんとした存在感がある。現代の日常のなかのドラマをちゃんと表現するむずかしさがわかるが、工夫の余地もありそうだ。

 当日券を購入しようとしたら、「劇団員に知り合いはいませんか」と訊かれた。1公演2000人近い観客動員のこの劇団が、相変わらずこんなこと訊くのか、知り合い頼みなのか。一般客の立場はないと、ちょっとイラついた。
 この舞台は今年のモナコ世界演劇祭に正式招待されており、その先駆け公演で、きのうときょうで4ステージ。ラストステージを観た。ほぼ満席だった。


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