上演時間の長い舞台で、それほどテンポがいいとは言えない舞台なのに、一瞬たりとも目を離すことができない、という舞台。
商業演劇進出の三浦大輔が、その力をみせつける。
貞淑な専業主婦と無気力なフリーターがテレクラで知り合い、逢引をくりかえす。ふたりは、それぞれのパートナーを裏切って、関係を深めていく。
無気力なフリーターのオナニーシーンから始まって、まったりとした展開なのに、そのまったりさも含めてピンと張りつめている。
そこには、緻密に計算の上に、引っぱりだされ強調され再構築されたリアルがある。
かってポツドールでやっていた「セミ・ドキュメント演劇」は、あまりに即物的で、強烈ではあったがドラマとしての深まりには欠けた。
久々に観た三浦大輔の舞台は、抽出して再構築されたものが、大きな劇場空間でも通用することを証明した。
1時間40分という短くない第1部では、セックスに至るまでのふたりの距離感を実にていねいに描く。
互いのセックスしたい気持ちを互いに感知して、一歩踏み込んだ会話で一歩近づくというところのやりとりは絶妙だ。
ここでは、互いのパートナーはまだ善人で、まだふたりの被害者という立場の人として描かれる。
1時間20分の第2部では、浮気が互いのパートナーに知られ、さらには。互いのパートナーの以前からの浮気が暴露される。
第1部で勝手にイメージしていた状況が、入れ混じる裏切りで突き崩されてゆく。パートナーたちのそんな裏切りの、何という軽さ。
そんななかで、急展開していく状況に一喜一憂するふたりの不安な気持ちはよく伝わってくる。
それに対応するような、裏切りさえも本気ではないパートナーたち。専業主婦の妊娠の相手がフリーターの男だとわかっていても、夫はそれを受け入れる。
そんな生き方がほとんど性格と化したような人、しかし完全には割り切れない人を活写していることに共感してしまう。
そして、結局はふたりも、そんな何にもこだわらないパートナーと変わらないことに気づかされる。
責任を持ちたくない、行動したくないというふたりは、パートナーたちよりたちが悪いのかもしれないが、批評はせずに淡々と描く。
いろいろあからさまになったあとも破綻はせずに、互いにその状況が受け入れられていく。わたしも、波立つ気持ちを抑えてその状況を受け容れる。
考えようによっては単純ともいえるストーリーだが、非常にていねいに描くことで心の襞までをみせる。そのことがドラマになっている。
安易な感情移入を拒むニュートラルな視点で、拡大鏡でも覗き込むように繊細にとらえた三浦大輔の透徹した視線には驚嘆する。
三浦大輔らしく舞台のうえに3つ4つのセットがあって、時に同時進行でふたつのシーンが進められるし、場面の切換えも速くて効果的だ。
そんな舞台装置を置ける劇場が福岡に極めて少ないという事情があるにしろ、パルコ用に作られた舞台を、その何倍ものキャパのホールなんかで観たくはない。
まともな劇場が福岡にはどうしても要る。
この舞台は、福岡では1ステージ。広い会場だから、少し空席があった。