維新派の野外公演はお祭りだ。
それも今回は、この時期に瀬戸内・犬島だからなおさら。出かけること・帰ることもも含めて、うれしくてしかたがないという公演だ。
だからといって、公演内容がどうでもいいというわけではない。今回も当然、期待にたがわず楽しませてくれた。
この観劇は、犬島への旅から始まる。
岡山駅前からバスに乗って新岡山港へ。船に乗り換えて犬島へ。船がだんだんと犬島に近づいていく。
人口60人の犬島には、この時期維新派公演関係者のほうが人口より多くなっているのではないだろうか。
港から公演会場への道は明るい。会場に入ると、まず屋台通り。10件近い屋台が並んで飲み食いできる。
そこを過ぎると、巨大な劇場が姿を現わす。高く作られたアプローチを通って劇場へ入る。
精錬所跡地の一角に3000本の丸太で建てられた劇場には、開演時にはまだ明るさが残る。風が抜け、通る船などの音が聞こえてくる。
単語を羅列する少人数の声のやり取りから静かに始まり、白塗りで帽子をかぶった26人のダンスが壮大な舞台を覆うとき、鳥肌が立つ。
台湾、フィリッピン、サイパンなどに出かけていって新しい仕事を切り拓いている人たちの姿を並行しながら経年的に描いていく。
旅して定着して、失敗を繰り返しながらも雄々しく挑戦し続ける人々の生き様が、効率的に場面転換されて、テンポよく表現されていく。
この劇団には珍しく、それぞれの話はストレート・プレイで表現される。
大人数のダンスシーンからストレート・プレイ部分に切り替わるとき、茫漠たる時間と空間の中から切り取られた個人の生活が、くっきりと立ち顕れてくる。
舞台は、希望を持って生きる人たちを明るく生き生きと描き、異郷の地で雄々しく生きる人たちをたたえる人生賛歌が奏でられる。その生活の何といとおしいことか。
しかし、1941年12月8日、日米開戦。
人々の関係は分断され、人々の意欲は捻じ曲げられて、戦争に収斂されていく。その後の戦況の悪化が、海外に住む日本人たちをさらに苦境に追い込んでいく。
そして、原爆・終戦で、すべてが無に帰す。
考えてみれば、これまで観てきた維新派の舞台で、わかりやすかったものはひとつもない。
必死で喰らいついても、詰め込まれたものが多すぎて、とてもとても理解できない。こちらが理解できるための知識が少なすぎることもある。
観終わってからずいぶんあとで思い出して反芻していて突然ひらめいたり、映像を見てみてこんなに豊穣だったのかと改めて感じることが多々ある。
しかし、わからないからといって舞台に感動しないのかといえばそんなことはなく、わからないながらも抱えきれないほどのもので胸がいっぱいになることもある。
あたりまえの話だが、わかりやすさと感動とは一致しない。全身全霊をかけた表現が、それでもまだ語りつくせないところ、あるいは受け取りきれないところがわかりにくさとして残る。
でもその表現の持つ力は、意味を超えて伝わる。今回は、日本近くの日本人を扱うから内容は比較的よく理解できたが、たぶん感動はそんな理解とは別のところから来ているもののほうが多い。
終演後、船の出航までの2時間以上を、屋台で過ごす。
出航を劇団員のかたが見送ってくれた。船から見る月と島影が美しかった。
この舞台は20日から8月1日まで12ステージ。満席だった。