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《2010.7月−13》

エネルギーに圧倒される、すさまじい舞台
【そんなに驚くな (コルモッキル-韓国-)】

作・演出:パックニョン
25日(日) 17:05〜18:45 鳥の劇場[スタジオ] 3本セット券5000円


 これでもかといわんばかりに突き上げてくるエネルギーに圧倒される迫力ある舞台で、人間の深淵を見つめた舞台だ。その人物造形の深さには驚嘆する。
 いかにも情熱と力技だけで作り上げたと見える舞台だが、それを支える非常に高度な舞台作りのテクニックも見逃せない。
 韓国演劇の底力を見せた舞台で、ことし観た舞台の中ではダントツのベストワンだ。

 家出していた母と再会してしまった父は、便所で首吊り自殺をしてしまう。その父の首吊り死体を前にして、母の家出でそれぞれの人生が狂ってしまった様が、浮き彫りにされていく。
 まるでミステリーを読み解くように、おぞましい事実がひとつひとつさらけだされていく。

 ひとりひとりの内に潜む衝動と、それが顕れたときに引き起こす出来事。その出来事からさらに新たな衝動が生まれ、次の出来事が発生して連鎖していく。
 衝動が顕れるまでには、軋轢があり葛藤がある。克服できたかも知れない、我慢できたかもしれない。しかし作者は、起きてしまった出来事を否定しないで、見つめる。
 その見つめ方は、出来事を引き起こさざるを得なかったその衝動に、そこにからむ軋轢や葛藤も含めて、徹底的に迫る。

 「恨」のころとは違って個人は自立しようとしているが、どうしようもない弱さは克服できない。でも、それをよしとしているわけではない。
 そういうひとりひとりの思いをギリギリまで見つめてつかみ出す。その痛ましいまでの想像力と、そこにドラマを見つけて構成して的確にセリフにする、その筆力は卓越している。

 開演後すぐに便所で首吊りをした父は、吊るされたまま腐乱しながらもしゃべる。そして、時間的には1週間以上あとである終演まで、便所に吊るされたまま。
 こんな激しい演出は、思いを伝えるのにどうしても必要だという必然的なもので、決して奇をてらって人を驚かそうというものではない。そのような直裁さはむしろ心地いい。
 ただこの舞台は、そのような衝撃的なところばかりではなくて、全体としては実にオーソドックスなかっちりとした会話劇だ。それも、どうしても相手を動かそうというせっぱ詰まった会話の会話劇だ。

 だから、何気ない会話というのはなくて、その会話の厳しさは半端ではない。
 それを俳優はどう演じていたかといえば、文字どおり全身で演じていた。セリフが作り出す場の、さらに一歩先を行くような俳優の身体があった。例えば、引きこもりの弟はまさに引きこもりの身体をしていた。

 BeSeTo演劇祭参加のこの舞台は、鳥取ではきのうきょうと2ステージ。狭い会場で超満員だった。

 終演後のアフタートーク後、作・演出のパックニョン(リーフレットでは「パク・グニョン」という表記になっている)さんにあいさつした。パックニョンさんには、一昨年ソウルに行ったときに大変お世話になった。


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