これは観劇というよりも、ケラリーノ・サンドロヴィッチの詐術にかかりに行く、といった趣きだ。
ケラリーノ・サンドロヴィッチは、どういう状況だったら観る者がどう反応するかを知っている。その上で、観る者の気持ちを揺さぶり不安にするような「わな」を仕掛けてくる。
その「わな」で、催眠状態に誘い込まれる。観終わったあとも催眠状態はどこかに残り、「夢か現かわからなかった」というケラリーノ・サンドロヴィッチ状態が、尾を引くことになる。
近未来。助け隊5人がやってきた街は、今にもつぶれてしまいそうな街。そこで5人はふたつの家族と知り合って、その街を救おうとするのだが・・・。
開幕したらすぐ、地図が役に立たなくなってることが示される。
そのあとも、現実感を否定するような状況が示されて、世界の底が抜けたような不安感を感じ始める。抗いがたい大きな力が働いていて、この世界が廃墟化していることがわかってくる。
これは舞台のはずなのに、そんな不安定な世界を見ていてほんとうに不安になり苛立ってきて、気持ちはそんな状況を拒絶しようとするまでになる。
そんなこちらの状態を逆なでするように、登場人物たちは一見切実であるように見せかけながら、実はのんきなやりとりを繰り返していて、この人たちは何なんだ!という苛立ちが上乗せされる。
はじめはそれらしい人物の実像が顕れると、どうしようもなくつまらない人間だとわかり、彼らが思い込みで勘違いで不可解な行動を取るなどしては、苛立ちは頂点に達する。何だこれは!と思ってしまう。
ほんとにもう、それがケラリーノ・サンドロヴィッチの詐術で、みごとにに引っかかってしまったのだ。
わからないから悔しくて、おもしろくなかったと思い込もうとしていたのに、なぜか気になって考え続けていた。それがまさにこの詐術に引っかかったためだったというのが、いまやっとわかる。
そんな舞台も第二幕になると、第一幕の晦渋さのなかで状況説明されたものの刈り取りが、照明もやや明るくなった舞台で、比較的テンポよく進められていく。
この街の5人家族が擬似家族であったことが明かされ、そのことで苛立ちはいくらか解消される。この街を捨ててみんなでいっしょに旅に出るという、それ以外に考えられないだろう終わり方も、まぁ納得ができる。先に希望がないにしても。
この舞台は、北九州では2ステージ。若干空席があった。