センスのいい舞台なんだけど、詰めが甘い。後半失速して、腰砕けになってしまったのが残念だ。
サンタクロースを信じる天文学者とその妻、息子などとの、サンタクロースに対する思いの齟齬が生み出す、やや物悲しいお話。
扱っているのは、「宗教が持つ『好戦性』の克服」という重いテーマだ。
その「好戦性」の克服をサンタクロースに求めるという問題提起の前半部分は快調だが、この問題、そう簡単には越えきらず、後半部分は難渋する。
9.11を、「神」の間の戦いとして捉える。
「神」どうしはそのバージョンが違うだけなのに、ひとつの「神」がなぜ他の「神」を排除しようと暴力を振るうのか、という問題が提示される。
そして、それを解決するためには、おおらかで優しい存在であるこのサンタクロースこそ、私たちが信じるのに理想的な神さまなのではないか、と天文学者は考える。
そこはいいのだが、そのサンタクロース探しと、見つけた中途半端なサンタクロースの話に力を注ぎすぎた。そして結局、そこから抜け出せない。
見つけたサンタクロースは、俗っぽく描かれていて、とても「神」には見えない。家族との話などでも劣勢な天文学者は、孤立して家から追い出されてしまう。
彼は宇宙の成り立ちから説き起こして、人類が生き延びて文明化した奇跡に比べたら、サンタクロースの存在など当然だと、まっとうな主張をする。
それで舞台をひっくり返せるか、正念場を迎えるのだが、作者はそこを掘り下げることなく、天文学者に死によって、情緒的にごまかしてしまう。
結局、せっかく積み上げたきた「暴力的な神」に対峙する「サンタクロース」は、ほんとの姿どころかイメージさえも顕わさない。
なんともやるせない結末だが、サンタクロースにさえも頼ってはいけないよ、というメッセージなのか。
舞台は、重いテーマをすっきりと軽くテンポよく進めた。小技に熟練した鈴木秀勝の手腕が楽しめる。
1辺60センチほどの黒い立方体をたくさん舞台に置いて、それを効率よく動かして舞台装置にする。20役を演じ分ける川平慈英の早替りも楽しめるし、それぞれの役もなかなかいい。
天文学者の勝村政信は、軽やかなのはいいが余裕に見えた。もう一歩テーマに踏み込んでもよかった。息子の風間俊介は9歳を演じるにはちょっとムリがある。
妻の草刈民代は、他の2役も合せてバランスを取っている感じだが、舞台俳優としては動きも表情もイマイチ。でも、抜群のスタイルに見とれてしまって、それだけで満足だったが。
演技は全体的には、重いテーマを担ったセリフを語る緊張があったのは悪くなかった。それなのに後半晦渋になったのはひとえに脚本のためであるが、それから先は自分で考えろ、と作家から投げ返された気もしないでもない。
この舞台は福岡では1ステージ。かなり空席があった。