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《2010.9月−20》

何かありそうで気になるが
【自慢の息子 (サンプル)】

作・演出:松井周
25日(土) 19:05〜20:45 精華小劇場(大阪) 3000円


 大しておもしろくはないけど、何かありそうで気になる、という舞台。何があるのか。

 古川正は、ハワイに“正王国”を作った。
 “正王国”に向かう、正の母と、近親恋愛の兄妹。そこには正と、息子を育てる女がいた。

 見終わった直後の印象はこうだ。
 表現も内容も、全体が何ともチグハグな印象で、そこを乗り越えて突き抜けるパワーを感じられず、企画倒れというか遊びすぎというか、ピンとこない。
 これは決して新しいものではない。なのに観てしまうし、若干気になるのはなぜ?

 松井周作品は、サンプルの公演は観たことがなく、北九州芸術劇場制作の「ハコブネ」だけ。
 この公演は、時間がなくてアフタートークを聴けなかった。しゃーない、何があるのか、自分で考えるしかない。しゃーない、考えたそのままを、未整理なまま書いていく。

 仕掛ける!しかける!という感じなのだが、その仕掛けがうまく構成されず、統一的に迫ってくることはないが、何となくなんとなく割り切れなさが内容にも形式にも残る。
 違和感のあるものを積み重ねて割り切れなさを残すのが作劇術かという気がしてくる。
 そう考えてみると、全然ダメというわけではないが、つくりについての充実度などやはり、いまひとつかなというところは多い。

 最初のシーン。母の説明を、ピチャピチャと音を立てて果物を食べながら聞く旅行ガイドの男とのやりとりはリアルで、旅行ガイドの個性丸出しで秀逸。
 そのリアルさで展開するかと思いきや、寓話的であり、人は偏屈であり、話は平板でしかもギクシャクと展開する。そのきしむようないびつさがこの舞台の特徴だ。
 “正王国”を作って自立したかと思った正は、相変わらずのマザコンで、ぬいぐるみとおもちゃ相手の生活―それが“正王国”。
 近親恋愛の兄妹も互いに依存しあって、ついには妹による兄の手淫まで至る。それを見て自慰にふける正。
 自立できない人間がモゾモゾと寄りかかれるパートナーを探す。何とももどかしいが、舞台を覆うそんなもどかしさは、意図的に作り上げられたものには違いない。

 そのあとかなりムリな展開ながら、兄妹の兄は“正王国”の女の養子になり、正の母は旅行ガイドとくっついてしまう。何とも納得できない、唐突というか都合よさ。
 正は、兄妹の妹にアタックし、妹はいやいやながらつきあうことを認める。

 広い平土間舞台を囲むように高い脚立はしごやコンポステレオを置いて、舞台全体を覆えるような広い白布が床を覆っている。
 俳優は、布の下に潜ったり・絡まったり・下から高く支えたり・衣服の一部にしたり・毛布代わりにしたり・と、いろいろ使う。

 話は唐突に進展し、因果関係が具体的に表に顕れることは少ない。
 感じるのは、父権の不在、自立の不在。それが、肯定的とも否定的ともつかない描き方をされている。そのことが何とかこの作品をもたせているが、恣意的な展開にはなじめない。
 リアルな部分を残しながら、ある種様式的な形にもっていこうという意図が見えるが、それは何のためだろう。登場人物が剛毅だとか高貴だとかはおろか、自立さえも獲得していないことを強調するためか。
 舞台を形式的に膨らますことで、舞台に大きな空洞を感じる。大きな形式にまで引き伸ばせるような思いが希薄なのだ。大きな形式は、そこを強調している。
 内容は弱々しく小さく、形式は空疎だが大きくと、そのねじれが表現方法だとみれば、それはそれでおもしろい。

 うなずくだけという受身から自立した母の、旅行ガイドとの母子関係のような愛。女の養子になる兄と女の愛。そして、男が求婚する妹との愛では、妹は妃ではなくて女王。
 強調されるのは母性で、父権は形式の空疎さと対応しているかのようだ。
 ラストシーン、大きな白布が何ヶ所かせり上げられていくつかの塔のようなものが出現する。権力集中しない母性の豊かさを見る。支えるものが弱いんじゃないかという気もするが。

 ドキッとする演出は、布のスクリーンに影が映写される兄妹の性の戯れと、舞台上で男が飛ばすラジコンヘリ。
 前者は、妹が兄のおちんちんをこねくり回して引き抜いてしまうというのを何回も繰り返す。バカバカしくていい。
 後者のラジコンヘリは、“正王国”がおもちゃの王国であることを強調しているが、小さなラジコンヘリは見ているだけで楽しい。

 結論はないが、これで。
 この舞台は、精華演劇祭2010特別企画「東京・現代演劇の現在」の第1弾で、3ステージ。ほぼ満席だった。


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