野村政之氏によるレクチャー「ユーザーのための現代口語演劇史」が、充実していて、ほんとに、知的興奮を掻き立てられるすばらしいレクチャーだった。
枝光本町商店街アイアンシアターが、ほんとに元気がいい。
関係する劇団の北九州公演のために野村政之氏が北九州にみえる機会を捉えて、「春のえだラボ」という企画を緊急に立ち上げたということのようだ。その周知がされたのは開始日まで2週間を切った3月末。
その内容が、前編3時間・後編3時間のワークショップと、2時間のレクチャーが2晩、さらに2時間のユーストリーム対談が2晩とものすごくヘビー。それをやってしまう馬力には恐れ入る。野村氏もよくぞ引き受けてくれると思う。
そんな「春のえだラボ」のなかで興味を引いたのが「ユーザーのための現代口語演劇史」だ。
1990年代に平田オリザが提唱し実践した「現代口語演劇」は、大きな影響力を持つ。平田オリザの拠点であるこまばアゴラ劇場に関わる劇団等からは、多くの人材を輩出してきた。それらの人材が、「現代口語演劇」をどう捉えどう展開していこうとしているのかは、舞台をみて考えていたところではあるが、そう簡単には捉えられない。
野村氏自身が有為な人材であり、ドラマトゥルクなどとして多くの多彩な人材と関わってきた。そんな氏が実践者として内側から見た「現代口語演劇史」を語ってくれるならば、いまの演劇状況を理解するのにこれ以上効率的な方法はない。これは聴き逃せない、と喜び勇んで枝光に向かった。
レクチャーでは、A4版2枚のレジメが配られ、口頭の説明を補うために白板とプロジェクターが使われる。レジメは野村氏がつかみ出したキーワードが並び、貴重な資料になっている。
受講者は7名で、若い女性が5名と中年男性とわたし。演劇との関わりでは、ほとんどが観客のようだった。
以下、内容のエッセンスと思えるところをまとめる。
○野村政之氏の自己紹介とレクチャーの主旨
・野村氏は、松井周氏の舞台のドラマトゥルクを5年ほど務め、またこまばアゴラ劇場に関わる劇団の公演の制作などを行ってきた
・野村氏が関わった演劇人はそれぞれ違うやり方をしているが、みんな「現代口語演劇」だと思ってやっている
・それぞれの演劇人が「現代口語演劇」のどこを引き継いで何を発展させているか、を紹介したい
○平田オリザと現代口語演劇 《映像「東京ノート」》
ポイント1:話言葉のなかで強調する場合、強弱アクセント ではなくて「語順」(強調したいことは頭に持ってくる、繰り返す)
ポイント2:人間はそんなに「主体的」にしゃべるものではない(しゃべらされていることで、転がっていく)
⇒この2点の捉え方は人によって違い、その違いが各人の「現代口語演劇」を浮かび上がらせる
○岡田利規(1973年生) 《映像「三月の5日間》
・〔考え方〕従来はセリフを言うことが目的になってしまっている(「セリフ」から「身振り」へ)
→ 持っている「イメージ」から、「セリフ」と「身振り」は同時的に出る
・〔俳優は〕<新劇・アングラ>物語の登場人物 → <平田>物語の読者の視点 → <岡田>出来事の報告者(イメージを客と共有)
○多田淳之介(1976年生) 《映像「LOVE」》
・平田作品の廊下を通る人が、ロビーで話す人に影響を与える(⇒この展開形)
→俳優どうしが反響しあうことを演劇として見せる
→そこに演出を加えることで俳優の表現を狭め、コントロールできない状態まで持っていく
○柴幸男(1982年生) 《映像「わが星」》
・セリフ以外にもう一歩ルールを設定(例:「わが星」の1秒ビート)
→人の動き基準からルール基準に →エピソードではなく「シーン」の作りこみへ
・<新劇>心理 → <平田>エピソードの編集 → <柴>シーンの編集
○岩井秀人(1975年生) 《映像「ヒッキー・カンクーントルネード》
・等身大の人間が破裂する瞬間(←岩松了的アタマがパンパン)+受動性(←平田オリザ的)⇒ハイブリッドに
○松井周(1972年生) 《映像「自慢の息子」》
・俳優の自由度を制約 → 環境からも資源をもらって演技 ←舞台装置が重要
・〔イメージ〕→〔身振り〕(環境=舞台美術) と 〔イメージ〕→〔言葉〕(戯曲) のせめぎあい & 環境からイメージへのフィードバック(「受動性」)
・<平田>ロボット →<柴>アバター →<松井>ゾンビ
○今後 ・これまでの10年:主体的でないことの追究 →今から:言葉(「物語」の追究)へ
以上がレクチャーの概要だが、文字に直すと聴いたときの鮮烈な印象がほとんど消えてしまうのはやむを得ない。
野村氏は、この内容を初めて話されたようだ。言葉にすることに苦労されているのがよくわかったが、おかげで、薄々感じていたこと・掴みかねていたことを大きく捉えることができた。触れられた演劇人の舞台を理解する足がかりになる貴重なレクチャーだった。
ただ、「現代口語演劇」を前提としたそのような展開の限界もあるのではないか、という思いは残る。
平田「オリザが「現代口語演劇」を提唱してからすでに20年以上が過ぎるのに、そこを越えていくような演劇の新潮流は生まれていない。それは平田オリザの責任ではなくて、あとに続く演劇人の怠慢ではないか、という思いがぬぐえない。
それでもまぁ、今後の演劇の新潮流はたぶん、「現代口語演劇」をやりつくしたところからしか生まれてこないだろうという気もする。そういう面で、取り上げられた演劇人やその他の演劇人が、今後どう変わってどう突破して新潮流を創っていくのか、注目したい。
帰りに枝光本町商店街アイアンシアターの芸術監督にお礼を言ったら、このレクチャーは多くの演劇人にも聴いてほしかった、ということだった。
そのとおりだ。演劇人として自分の立ち位置を確認する貴重な機会なのに、ほんとにもったいない。この報告を見て、聴かなかったことを悔しがってくれる演劇人がいて1人でもいてくれるといいが。