何としても客をビックリさせてやろう楽しませてやろう、という心意気が、ビンビン伝わってくる舞台だった。
ギリギリまで詰め込んだたくさんのアイディアが、俳優の身体を通して溢れ出してきて、狭い空間は熱気に満たされた。そんなパワーに満ちた舞台を楽しんだ。
鬼の世界から人間の世界に送り込まれた鬼。角を頭に残したままに。
人間界には、手足が動かなくなってしまった母と姉がいて、助けようとするのだが・・・。
ストーリーはあって無きがごとくに、10ほどもあるシーンは跳びまくる。
それぞれにシーンはまったくテイストが違っていて独立性が高く、それが小気味よく転換しながら進行していく。シーンが変わるごとに、オーッというアイディアが仕掛けてあって、それが実に新鮮だ。
とにかく何でも詰め込んで、溢れ出るものを客といっしょに楽しんでしまえ!というそんな姿勢で作られた舞台で、2時間半近い長い舞台がエネルギーに満ちている。
演じる場所は、壁を背にした6メートル×1.5メートルほどの狭い空間。そこに6つの黒いボックスを置いただけ。当然、装置や照明は不十分だが、狭さゆえに、10人の俳優たちははみ出さんばかりだし、その息遣いまでもが伝わってくる。
コンテンツも演出も幅広い。日ごろからアンテナを高く立てて舞台に生かそうとしている姿勢が伝わってくる。哲学っぽいところから悪ふざけに近いところまでを、時にシリアスに突っ込み、時に勢いよくにふざけまくる。
コンテンツについては、人間界に行く鬼が異文化のなかで激しく疎外されるというメインの部分に、社会批評やジョークやおもしろいけど意味のないことまでを、ベタベタと貼り付け膨らませる。そのセンスは悪くないし、ほとんど見境なく開陳していくように見えるが、実はしたたかに計算されている。
演出はここでも多くのアイディアを出していくことで、それらのコンテンツを表現していく。
3人の会話のシーンで3人にそれぞれ2人の影がついて動くシーンは印象的だ。札束は思い切りばら撒かれる。ハンバーグを1個半食べるだけの肩すかしのシーンで笑わせる。ビキニの女優二人の、腹ばいになって手足バタバタの演技やレズキスはかなり刺激的。そういうアイディアのオンパレードだ。
かなりきわどいのもあるのにそれがほとんどすべらない。とことんパワーを出し切れば質にまで高められる、ということを信じてやっている。
俳優たちはみんな思い切りやっていて、それぞれの個性が十分に発揮されている。楽しんでいる感じがやや過ぎるように見えなくもなかったが、たぶんそうではないだろう。
俳優ではやはり、客演の寺田剛史の存在感がずば抜けていて、全体を引っぱりながらも飛んでいくのを繋ぎとめているという感じだ。彼がいないと、舞台の印象は違うものになってしまっただろう。ただそんな彼でも本来の力はまだ十分には発揮されていないような気がする。
ほかでは、やはり客演の大迫旭洋の飄々としながらもちゃんと見せる演技が楽しかった。
この舞台は、12日から17日まで8ステージ。ほぼ満席だった。