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《2012.4月−4》

おもしろくて楽しめるんだけれど
【自慢の息子 (サンプル)】

作・演出:松井周
14日(土) 18:05〜19:50 北九州芸術劇場 小劇場  3,300円


 おもしろくて楽しめるけれど、どこがどうおもしろいかうまく説明できないのがもどかしいという舞台だ。
 しかし、この舞台のおもしろさをどう捉えたらよいかよくわからいことで却って、演劇のあり様についていろんなことを考えさせられたのは、それはそれでよかった。

 自慢の息子・正は、「”正”王国」を作って国王に。
 そこに、正の母と、ある姉弟が、旅行ガイドに伴われて行くことに。そこには、洗濯ものを干す女がいた。

 今回の再演の舞台は、それぞれのシーンがさらにクッキリと描かれていたこともあって、まとまった充実した印象が強くなっている。
 初演の舞台を観たときには、少しは楽しみながらもそれでも、ほんとにイライラが募った。今回は2回目であり観やすくなったぶん初演よりはイライラは減ったが、なかなか完全にスッキリとはいかない。アフタートークを聴いて理解の糸口はもらったのはありがたかった。

 観劇にあたっては、積極的に出て舞台を凝視し耳を澄ました。
 最初の、母と旅行ガイドのやりとりの研ぎ澄まされたリアルさにのけぞる。しかしそれがすぐに当たり前になってしまう。
 正と性的関係にある母、正が結婚したい姉弟の姉はその弟と近親相姦の関係にある。母と姉弟に旅行ガイドも加えた4人が旅して到着するのが、ハワイのような正の王国。そのイメージの王国はの印象は徐々に弱まり、正の部屋の一角に積みあがられたぬいぐるみの山と二重写しになって、次第にぬいぐるみの山のなかに収束されていく。正はそんな虚構の王国の中でだけ暴君となって支配欲を満たす。そういうひきこもりの話なのだ。

 そのような構造がじわりじわりと見えてくるところは、けっこう楽しい。
 虚構を生きる人物を非常にリアルに表現し、ぬいぐるみの山というちんけな現実と対応させる。舞台上に白布を敷き詰めた装置を通して、正に見えている世界と現実の世界が重なってくる。
 正に見えている世界では因果関係がチグハグで、時としてコンテクストは無視されるが、それが正の心象風景には違いない。舞台に敷き詰められた白布を、引っぱって形状を変える・身体に巻きつける・下に潜るなどなどと効果的に使って、正の心象風景を表現してしている。もし白布がなかったら俳優の演技も異なったものになり、まったく違った印象になるだろう。
 作者は、正をはじめとする人物をややシニカルに見ていて、彼らへの感情移入を拒否する。それを受けた、爬虫類的でしかもエキセントリックな正(古館精二)の演技が秀逸だった。

 終演後の松井周と岩井秀人のアフタートークでは、母と息子の依存か自立かという関係について、「ミルクを飲みながら射精している」というコンセプトが語られた。
 それを舞台化するにあたっては、演出や演技上のアイディアを出し合い積み重ねていくことで、コンセプトがゆるぎないものになっていくということもわかった。
 しかし、そのようなコンセプトがあるにしろ、なんで描く対象が「ひきこもり」になってしまうのかというのは気になるところだ。現代口語演劇の考え方のひとつである「人間はそんなに『主体的』にしゃべるものではない」ということの究極のありかたが「ひきこもり」だと捉えているのだろうか。ただ正は自分の世界では「主体的」だから、ちょっと違うのかもしれない。
 それにしてもこれは1990年代のひきこもりではないのか。こんな牧歌的ともいえるひきこもりが存在する余地はだんだんなくなってきているのではないか、という気がする。

 この舞台は、北九州ではきょうとあすで2ステージ。満席だった。


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