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《2012.4月−11》

貧相な自己満足の舞台
【No Enemy, No Life? (village80%)】

作・演出:高山力造
29日(日) 14:00〜15:30 西鉄ホール 共通チケット15,000円


 いろいろやっているけれど、基本的な方向性がまちがっていて、貧相な舞台だった。

 就職活動で挫折して3年もひきこもるナオキ。
 コンビニ店員のミウラのところに突然転がり込んできた知らない女。
 その2つの話が並行して進む。

 並行して進む2つの話はいっこうに絡まないが、ひきこもり男と家出女それぞれが合わせ鏡となっている構成としてかろうじて繋がり、やっとこさこの舞台の骨格が浮かび上がる。
 しかしその骨格は繋がりが弱すぎて非常に脆弱で、提示されるタイミングも遅すぎて、たいくつな90分を活性化することはない。

 西鉄ホールの平土間の下手が舞台で、客席は後方と舞台上手に設けられている。
 舞台中央に高い背もたれのイスがあり、それを囲む大きな円周上に10ヶ所ブランケットが置かれている。
 ほどなく1人の俳優が登場し、1つのブランケットに位置を占める。それから俳優は2分おきくらいにひとりひとり登場して、それぞれのブランケットに位置を占める。5人が登場し終わるまで10分強かかる。
 1人の女優が舞台中央に進み出て、たどたどしい日本語で前説を始める。それに同じ内容の館内アナウンスがかぶる。それが終わってやっと本編が始まる。

 この最初に10分強に、ほとんど傲慢とも見えるこの劇団の精神構造が端的に顕れている。
 俳優のゆっくりした登場は1つのアイディアには違いない。しかし、そのアイディアにこだわって大事なものをみごとに捨象していて、そのことに気がつかない。この劇団のそんな能天気さは、この舞台全体を通しても言えることだ。
 「つかみ」がないのはまぁ許すが、どう始まるかと緊張して舞台を観ている観客に開幕の緊張を10分強も強要するというのは、観客のことを何も考えていない証拠だ。
 言うまでもないことだが、いちばん肝腎なことは観客の頭の中にいかにイメージを結ぶかということだ。そのために演劇人はコンテンツとテクニックに苦労するのだ。どうでもいいアイディアのために10分強のあいだ観客を放っていて平気だということは、観客をたいくつさせないことが演出のいちばんの眼目であるという最も基本的なことさえまったくわかっていないということだ。

 全体的にはコンテンツもテクニックも貧相だ。
 描かれる内容が薄すぎる。せっかく「敵」というキーワードを見つけながら、それが基層になって2つの話を繋ぐまでにはトコトン考えてられてはいない。それは、原発事故に触れながら全く扱いきれていないところに端的に表れている。
 演技は一見新しそうに見せかけてはいるが、鍛えられていないし動きもしゃべりも古臭い。内容のないセリフが変にざらつくのはそのためだ。
 アイディアを出すのはいいが、そのアイディアが練り上げられずに、舞台への効果を考えずに出されている。
 山ほどあるツッコミどころについて書くのは省くが、そんなふうで、わたしの目線ではこの舞台はとてもとてもまともな演劇のレベルには達していない。

 この舞台は29日に2ステージ。マチネを観た。少し空席があった。


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