福岡演劇の今トップへ 月インデックスへ  前ページへ 次ページへ


《2012.9月−9》

どこか不安定で、清新さにも欠ける
【花咲くチェリー (文学座)】

作:ロバート・ボルト 演出:坂口芳貞
16日(日)13:35〜15:55 ももちパレス 3,430円


 ていねいな演出で戯曲の構造はよくわかったが、舞台はどこか不安定で清新さに欠け、戯曲のおもしろさの表現が十分とはいえないのが残念だった。

 保険会社で働くジム・チェリーは、妻・ベルと娘、息子との4人暮らし。上司と衝突してクビになるが、それを家族に言い出せずに、勤めていたときと同じように毎朝出かけていく。酒で気持ちをまぎらせ、故郷のサマセットでリンゴ農園をやる夢にしがみついている。

 1957年に書かれたこの戯曲は、人物間の相克とそれが引き起こす状況を、写実的にオーソドックスな手法で描いている。映画「アラビアのロレンス」や「ドクトル・ジバゴ」の脚本を手がけたイギリスの劇作家・脚本家ロバート・ボルトの出世作だ。
 日本では1965年に文学座が北村和夫の主演で上演して北村はその年の紀伊国屋演劇賞を受賞。ジム・チェリーは北村のいちばんの当たり役となり、それ以後も上演を重ねた。わたしはその北村主演の舞台を観ているが、古いことなのでその印象も薄れてしまった。
 今回上演される舞台は、北村和夫追悼公演として2009年に渡辺徹主演で上演されたものだが、今年の公演は渡辺が体調不良で降板し、鍛治直人がジム・チェリーを演じた。

 演出の坂口芳貞は今回の舞台について、「アンサンブル演技で人間関係を丁寧に掘り下げていく舞台になりました。そのことで私自身若い時には気づかなかった、作者が人間の弱さに向ける厳しいと同時に暖かい眼差しを強く意識させられました。」と述べている。
 写実的な戯曲で観客に解釈を押しつけることはないが、解釈を促すための人物間の相克はみごとに描かれており、演出はそこをていねいに掘り起こそうとしてはいる。
 だから、ジムにとってはしがみついて気を紛らわせるための幻想に過ぎなかった「リンゴ農園」を妻が信じて強行突破。そのことが、かっての部下の下で働こうというジムの決意を打ち砕いてしまう。そういう戯曲のキモはよくわかった。
 そうは言っても舞台成果としては十分とは言えない。全体的にはかなりフラフラと不安定な印象があり、舞台の清新さについてもその表現に中途半端さを感じた。その理由を考えてみたい。

 かなりフラフラと不安定な印象の理由は、鍛治直人のジム・チェリーの演技にある。
 ジム・チェリーは、ふてぶてしくわがままで甘ったれで軽薄で無責任でと、自分自身の姿を晒されているような気にさえなるが、世の中のどこにでもいるごく普通の人間だ。そんなジムの性格のいちばんの特徴は能天気さ。強がって上司に謝ることができず会社を辞めるところからもその能天気さがわかる。
 そんなジムを鍛治は考え深そうな男として演じていて、つまらない男として突き放せない。だからその演技は、セリフをそのまま生まじめになぞってフラフラと漂い、舞台に不安定な印象を与えてしまった。

 「新劇的」な表現が随所にあって、その中途半端さが舞台の清新さを殺していた。
 いちばん「新劇的」だと感じたのはセリフのやりとりだ。俳優は1つのセリフをまとまった完結したものとしてしゃべる。そこには考えながらしゃべるという感覚はない。相手はそれを受けておもむろに、決まりきったこととしてセリフをしゃべる。
 そのようなやりとりは単調でなまくらで、既定のものをなぞるというような感じがいかにも「新劇的」だという印象を与える。
 小劇場以降の劇作家の戯曲も多く上演している文学座にしてここから抜け出せないのかと、それが残念だった。

 この舞台は福岡市民劇場9月例会作品で、11日から17日まで8ステージ。満席だった。


福岡演劇の今トップへ 月インデックスへ  前ページへ 次ページへ