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《2012.9月−11》

雨で急遽会場移動のハプニング
【大楠薪能 (築上町伝統芸能普及の会)】


22日(土)19:10〜20:30 本庄の大楠前特設能舞台 3,000円


 開演前から雨が降り出し、野外での上演をあきらめ、急遽まったく予定していなかった近くの小学校の講堂で上演するということに。主催者は決断と対応が大変だっただろうけれど、なかなかない経験で、やや不謹慎だが、おもしろかった。

 築上町本庄にある伝承樹齢1900年、全国5位の大樹で国天然記念物の本庄の大楠。その前の特設能舞台での薪能で金剛流の能が上演。金剛流の能はまだ観たことがなかったのと金剛流宗家の出演なので観に行った。

 正午少し前に自宅を出て、英彦山経由でまず求菩提山に向かいピークハント。求菩提山からはそれほど遠くない本庄の大楠に着いたのは午後4時半過ぎ。大楠の前には仮設のみごとな能舞台。入り口にはすでに100人以上の行列ができていた。午後5時から入場開始。まぁまぁの席を押さえた。

 入場してしばらくすると小雨が降ってきた。午後6時以降は晴れるという天気予報なので予定どおり開演するというアナウンスがあったが、雨脚は強くなるばかり。それでも大半の観客はのんびりと構えていたが、わたしのそばにいた町の有力者とおぼしき一団はわぁわぁとうるさく主催者批判。むずかしい判断を迫られているであろう主催者にその一団の代表が、野外での上演をあきらめてさっさと室内に移るように、わざわざ文句を言いに行った。
 18時20分に対応会議中の旨のアナウンス。18時25分に上城井小学校の校長先生を呼び出すアナウンス。18時28分に、上城井小学校の講堂で19時から上演するというアナウンスがあり、観客はみんなゾロゾロと歩いて小学校に移動。雨天の場合は椎田中学校体育館でろうそくを使って上演するということになっていたのだが、椎田中学校は10キロ以上も離れていて移動は困難だし舞台の準備もないはずだ。ここは中止か上城井小学校の講堂での上演しかなく、主催者はまったく何の準備もない上城井小学校の講堂での上演を決断した。

 15分後には観客の移動は終わったが、スタッフや出演者は舞台の準備が大変だ。舞台正面の日の丸やスクリーンを外し、グランドピアノは舞台から下ろされないので上手奥に移動し、舞台奥に半分垂れ下がった幕を応急処置し、マイク・スピーカーも繋がった。講堂の窓は開け放たれ、そばの道をたまに通る車の音と光りが入ってくる。
 講堂の舞台は狭いので、橋掛かりがないのはむろんメインの舞台も十分な広さではない。楽屋に代わるようなスペースもないはずだ。「船弁慶」は15人以上が同時に舞台に登場する。そんな曲をこの舞台にどう乗せるのか興味津々。チラチラと見える出演者の顔には悲壮感などまったくない。床に座った500人ほどの観客もどちらかといえばのんびりとしていて、こんな状況を楽しんでいるようにさえ見えた。

 19時少し過ぎに開幕。町長あいさつのあと、19時15分から狂言「棒縛」が始まった。


○狂言「棒縛」(和泉流)

 外出する主人が太郎冠者・次郎冠者の2人が留守中に酒を盗んで飲まないように一計を案じて、2人の手を縛り上げたり棒に両手を括りつけてしまう。2人はそれでも酒が飲みたくて・・・。
 野村万緑師のグループによる「棒縛」は、よく上演されているためか安心して観られる。今回も舞台の不備をほとんど意識することのないような上演だった。細かいところまでをていねいに演じていて、客席もよく笑っていた。上演時間約25分。

○能「船弁慶 白波の伝」(金剛流)

 鎌倉方から追われる身となった義経は、西国へ逃れようと摂津の国大物の浦まで来る。そこでの義経の愛妾・静との別れが前半。船出したあと暴風を起こして襲いかかってくる平家一門の亡霊、特に平知盛の怨霊との戦いが後半。
 時間の都合で後半のみの上演となったは残念だった。金剛流宗家の金剛永謹師の後シテ(平知盛の怨霊)は、勇壮さよりも知盛の哀しみを際立たせていた。舞台上は多くの出演者で輻輳。その中での演能は大変な状況だっただろう。そこをリハーサルもなくて上演してしまった。上演時間約30分。


 午後8時半の終演後、駐車場からなかなか車が出せずにイライラ。帰りは中津・日田経由で雨の中を走り、自宅に着いたのは午前0時少し前だった。


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