青木繁生誕130年記念演劇公演として久留米で「底鳴る潮‥青木繁と福田たね」が上演されたので観に行った。
50年近く前から折に触れてその絵を見つづけてきた青木繁オタクのわたしとしては、繁についての舞台は観逃すわけにはいかない。
原作は1988年に出版された渡邊洋の小説「底鳴る潮」。それを石山浩一郎が全13場の脚本にまとめ、演出も担当した。出演者は4月にオーディションして約半年間のけいこを積んできた舞台だ。
小説「底鳴る潮」は青木繁を描いた他の小説や戯曲と同じく、その芸術的な成功以上に転落とその後の放浪にスポットを当てて、繁の悲劇を強調する。それだけならまだいいのだが、ここでは母との愛を強調していてかなりいびつだ。
この舞台でも真ん中の第7場に「海の幸」が白馬会で1等賞という絶頂期を持ってくる。それより前が意気軒昂な上り坂で、それより後は放浪の果ての28歳の死へ向かう苦難の下り坂だ。
前半はやはり「海の幸」誕生がポイント。坂本繁二郎との友情や福田たねとの恋愛が、米良の海での高揚感のなかではじける―と言いたいところだが、それらがスッキリとは描けない。特に、福田たねとの恋愛を貧相なものとしか描けていない。残念ながら高揚感には乏しい。
後半は長男の務めを要求する世俗に押しつぶされていくという、何とも言いようのないほどに残酷な話だ。放浪の疲弊で才能は磨り減り、健康であったとしても再起はならなかったかもしれない。それでも何としても生きたかっただろう繁の28歳での病死。後半はそんな不条理とも見える境遇がそれなりには描けていた。ただ、幼い繁と母親が抱擁する最終場はいただけない。
わたしの青木繁についてのいちばんの興味は、わずか数年という短い期間でどのようにしてずば抜けた洋画の技能を身につけたかということだ。
薩摩出身で留学帰りの東京美術学校教師の黒田清輝を見て繁は、維新に乗れなかった久留米藩出身者の悲哀をいやというほど感じたに違いない。繁のそっくり返った態度はそんなコンプレックスの裏返しで、そんなコンプレックスが洋画の技能向上の推進力になったのではないか。
繁がどのようにして洋画の技能を向上していったかについては、研究されたものを見たことがない。繁について書かれたものは中途半端な小説などが多くて、詳細な事跡研究と作品研究を総合的にまとめた本格的な評伝はまだ出版されていない。繁の功績はまだキチンと検証されているとはいえない。だからこの舞台のように繁の悲劇ばかりが強調されることになるのだ。
この舞台はきょうとあすで2ステージ。広い会場で、少し空席があった。ここの会場の開幕ベルはサイレン並みの音の大きさで、ビックリしてしまった。