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《2012.10月−1》

どんでん返しが、決まらない
【欺瞞と戯言 (トム・プロジェクト)】

作・演出:中津留章仁
2日(火)19:00〜21:20 ももちパレス 4,000円


 まったくつまらないというわけではないが、よけいなものを未整理なままに詰め込みすぎていて、その雑駁さのために肝心の趣向を見えにくくしてしまった。エピソードもセリフももっと密度高く刈り込んだがいい。

 戦後間もない時期、旧華族で一族の財閥グループに属して会社を経営している名家。その名家の当主は3年も消息が途絶えている。待ち続ける妻は、夫の弟から求婚されている。会社の経営を息子にさせているが、低賃金に不満の従業員が自宅の洋館に石を投げてガラスを割る。交渉に来た組合委員長の男は、夫の親しい友人で妻のかっての恋人だった。

 2幕の舞台で、第1幕と第2幕の間には2年ほどの間がある。第1幕では、息子は、融資を引き出すために銀行家の娘との結婚の決意し、妻は、夫の弟と夫の友人のもみ合いをやめさせるようとして、夫の弟をケガさせてしまう。
 第2幕では、妻はびっこを引いている夫の弟と再婚しており、融資を受けた息子の会社の新規事業は順調だが従業員の低賃金の不満は解消されていない。息子は臨月の妻に冷たい。そんなところにまた、組合委員長の男が交渉にやってくる。

 バラバラにして再構成したがいいという感じまでする、手前勝手ないびつさを残して生煮えのままの雑駁な戯曲だ。観終わった直後は「何だこれ?」という印象で、拍手もしなかったほどだ。
 作劇上の安易さ身勝手さが目につく。女2人だけの話を覗くなという約束を弟が簡単に破る、妻が夫の友人と抱き合うシーンを弟が見る、妻と男の話の時に弟は席を外さずに聞いているなどだが、それは必然性に乏しく不自然な印象を残す。息子の見合い相手が夫の友人の知り合いだったとか、あとに続かない話はよけいだ。
 内容的にもどこか甘くて、例えば、青臭い語り口で語られる直裁過ぎる経営論や政治論が不自然な印象を残す。

 竹下景子(妻役)が悪女であるはずがないという先入観を揺さぶるようなセリフがポツリポツリとある。それが伏線であったことは最後にわかるのだが、そんなセリフは上記のような不自然さにまぎれてしまう。
 夫の不自然な失踪の真相を知った夫の友人から脅された弟は、夫が失踪したのではなくて一族の意思で抹殺されたのだと妻に話す。だが、妻は動揺を見せない。ラスト近く、妻は夫の友人に夫の死を知っていたことを告げる。
 話がみごとに裏返しになって妻の「欺瞞」が顕れ、それまで見えた妻の行動が正反対の意味をもって全部「戯言」だったと鮮やかに見えてくればこの舞台は成功だろう。裏返しにはなるが、戯曲の雑駁さからそれが“鮮やかに”とはいっていない。
 妻が夫の死を知っていたことを告げた直後、それまで人の上に立つ者の心構えや和の心を説いていた息子が、従業員の執拗なデモに激高して、壁に飾られている銃を取ってデモ隊に発砲して従業員の1人に傷を負わせてしまう。万事休す。だが妻は息子の身代わりをかって出て、息子は夫の友人の助言で賃上げをデモ隊にアナウンスする。
 せっかく何とか裏返しながら、このラストの甘さは何じゃ。弾を込めた銃が都合のいいところにあり過ぎ。いくら激高したからといって人がいるところに発砲するか? 発砲事件があったらすぐ警察が来るだろ。ほんとに、せっかく裏返したのにここまでリアリティをなくしてしまったら逆効果だ。

 俳優では、息子役の真山章志が妥協抜きの突き抜けた演技で、息子をみごとに演じていて印象に残った。
 中津留章仁は昨年「背水の孤島」でいくつも賞を受けた。だが、その「背水の孤島」は岸田戯曲賞の選考委員から完全に無視された。冷遇されている「ドラマ演劇」の旗手として作品の質をさらに高めて逆転してほしい。この舞台は設定された時代もあって日本の近代劇やアメリカの現代劇の作品のようなオーソドックスな雰囲気がある。それらの作品と比肩されるまでにもっともっと緻密に練り上げてもらいたい。
 この舞台は福岡では1ステージ。かなり空席があった。


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