2006年ロンドンで上演された新演出の「サウンド・オブ・ミュージック」の日本版。みごとな舞台効果を発揮した演出が効果的で、名作ミュージカルの楽しさがたっぷりの舞台だった。
ナチスの台頭が著しい1938年のオーストリア、ザルツブルグ。修道院の修道女マリアは、退役軍人トラップ大佐の一家へ家庭教師として派遣される。そこには気難しいトラップ大佐と7人の子どもたちがいて、マリアは手を焼きながらも次第みんなの心をとらえていく。
言わずと知れたミュージカルの名作だが、この上演は2006年にロンドンで上演されたアンドリュー・ロイド=ウェバーがプロデュースした新演出作品の日本版。痒いところに手が届くようにていねいさで名作をさらにブラッシュアップした新演出のよさがよく顕れた舞台だった。
特に感嘆したのは舞台転換のみごとさで、舞台の流れをまったく阻害しないのは無論、その手際のよさが感動的でさえあった。日本のオリジナルミュージカルとは手のかけ方がまったく違うというのがよくわかる。
劇場のメンバー表には2006年ロンドン版のクリエイティブスタッフが掲示されてはいたが、四季のホームページではスタッフは日本語版関係分だけの掲載で、2006年ロンドン版のクリエイティブスタッフの名前はどこにもない。この舞台の功労者である2006年ロンドン版の演出者や振付者の名前がないのは、四季がこの舞台をオリジナルっぽく見せたいためではないかと勘ぐりたくもなってくる。
この舞台は、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の魅力を十分に表現していて楽しめた。上演時間2時間半(休憩15分を含む)という長さでなければ見せれないものがキッチリと詰まっている。たくさんあったであろう確執にはあまり拘泥しないエピソードは前向きで、その展開はとてもにリズミカルだ。
マリアがトラップ大佐の子どもたちの心をとらえ大佐の心をもとらえる過程では、繊細だがメリハリもある表現で人の気持ちの繋がりをうまく描いている。
ただ、後半わずかに違和感があるのは、ドラマを盛り上げるために変更された時代設定のためもあるかもしれない。モデルとなったマリアがトラップ邸に来たのは1926年でトラップと結婚したのは1927年だが、このミュージカルでは1938年と設定。一家が亡命するのは実際もこの舞台の設定も1938年。
劇的効果を上げるためにこの舞台では時期を1938年に集約したために、トラップ大佐が大地主で名家の膨大な資産と地位を捨ててまで亡命するという重すぎる決断を、何の準備もなく簡単に決めてしまったように見えてしまったが、それはやむ得ないか。
子どもたちの演技、そのみごとなパフォーマンスには泣かされる。マリアの井上智恵は、歌はうまいがやや初々しさに欠ける。トラップ大佐の村俊英は、どこか父ちゃん坊やのような感じもあり風格に欠ける。
この公演は、劇団四季が福岡の常設劇場を撤退してから初めての福岡での長期公演。劇団は今回の公演の開幕前から開幕中に、リハーサル見学会、オフステージトーク&ミニコンサート、バックステージツアーなどの多くの集客イベントが打たれた。3日から8日までは「“ありがとう福岡”出演者による見送り」があっていて、出口で井上智恵に両手でしっかりと握手してもらった。
この舞台の福岡公演は、6月から始まり今月14日の千秋楽まで100ステージを超える。千秋楽近い3連休中日のきょうは満席で、子ども連れの人が目立った。