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《2012.10月−7》

構成・振付に抜本的な工夫がほしい
【ディクテ DICTEE (Co.山田うん)】

構成・振付・演出:山田うん
18日(木)18:40〜19:40 福岡アジア美術館 7F彫刻ラウンジ 無料(事前申込み)


 抽象的なテーマを抽象的なままに放り出したという印象の舞台で、山田うんの身体能力がほとんど発揮されていなかった。構成・振付に抜本的な工夫がほしいという舞台だった。

 この山田うんソロダンス「ディクテ DICTEE」は、母国語を奪われた女性が使い慣れない言語を練習して受容していきながら、それをどんなに練習しても決して母国語を超えられない苦しみを描いた、韓国系アメリカ人女性アーティスト、テレサ・ハッキョン・チャの実験的文学作品「ディクテ」から着想した作品で、「ディクテ」とは「書き取り」という意味だという。

 福岡アジア美術館 7F彫刻ラウンジの北側に80席ほどの観客席が設けられ、中央部のフローリングのほぼ正方形の広い空間がダンスの舞台だ。
 上手前方に小さなテーブル、下手奥に3段の踏み台。その踏み台から幅40センチほどのボードが舞台下手の奥から手前へ延び、さらに下手から上手に延びて大きなL字型になっている。開放的な舞台で、客席からは舞台の向こうに川端のビルや中洲のネオンが見える。

 ほぼ60分の舞台は8つほどのシーンに分けられ、解説したり朗読したりボードの上に白墨で絵や字を書いたりと、ダンス以外のことが多くなされる。
 「ディクテ」に想を得てこのダンスを作るために山田うんは、ジェンダーや戦争や人種差別や言語の発音やバッハなどについての書物を20冊以上読んだという。
 女性という視点で貫かれながら補強され膨らまされて構築されたであろうこの舞台は、そのような背景の多彩さを垣間見せ、山田うん自身が感じたであろう切なさ痛さが匂ってはくる。そんな潔ささえ感じさせる硬質な舞台なのだが、しかし、意図したことが表現されているかというと、そこには大きな不満が残る。

 いちばんの不満は、山田うんの身体性、運動能力がほとんど発揮されていないことだ。
 言葉そのもので語られることが多い。プロローグでは原作本を手に持って思い入れを語る。そのあとも原作本からの言葉や山田うんの思いなどが語られる。フランス語の発音に苦しむシーンも言葉が主体で身体性に乏しい。
 大きな激しい動きのダンスは3つほどのシーンにしかなくて、それも短いものが多い。ボードに白墨で字を書くなどの、ダンスとはいえないような中途半端な動きが多いのだ。それではとても広い舞台を満たせない。上演時間60分でも長すぎると感じさせられた。
 コリオグラファーとして山田うんのやるべきことは、抽象的なことを言葉ではなくてどうやって身体表現にもっていくかだろう。舞台の構成を多層的にし、多彩な内容は多彩な振付で自分の身体に落とし込み、それをきっちりと適正な時間をかけて観客に伝えることだろう。

 この舞台は福岡では1ステージ。満席だった。


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