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《2012.10月−12》

脚本が弱いなぁ
【贋作・一条さゆり (だらく館)】

作・演出:秋山豊
28日(日)16:30〜17:25 関門海峡ミュージアム 2,500円


 一世を風靡したストリッパー・一条さゆりの、死ぬまで男に翻弄された壮絶な生涯を、AV女優で現役のストリッパーでもある若林美保が1時間で演じ切るという独り芝居。
 よくまとまってはいるが、1時間で一条さゆりの生涯を描き切るというのはそう簡単にはいかない、ということを感じさせた舞台だった。

 一条さゆりは自称1937年の生まれだが、実際は1929年の生まれ。亡くなったのを自称の60歳とするか実際の68歳でとするかで印象がずいぶんと違う。逮捕されて実刑判決が出た1972年の引退興行の時の実際の年齢は43歳。この舞台では、前半がその引退興行までで、後半がそれ以後という構成になっている。
 前半生も後半生も壮絶だ。母が早くに亡くなり再婚した父親と生活しているのに施設育ちと語ることからも、虐待されたという幼児期と暗い少女時代がうかがえる。結婚した相手にだまされるような形でストリッパーになったのは1960年ごろのようだから、ほぼ30歳のときだ。
 刑務所を出た1975年からは大阪で飲食店を開くが、男関係と金銭感覚のルーズさで店を作っては潰すを繰り返して、開店資金にと金をまきあげた男を自殺に追いやったり、恨みを持たれた男から店にガソリンをまかれて大やけどをして1年以上も入院したりしている。釜ケ崎に住み、ときには路上生活もしている。

 襟と帯だけが白い赤の長襦袢の若林美保が、手毬歌を歌って破れたゴム毬を投げる。非常に情の深い一条さゆりの届かぬ思いを、破れたゴム毬でうまく象徴していた。
 独り語りと日舞で舞台は進められる。真っ赤な長襦袢は妖艶だが、日舞は派手さはなく激しさは内に秘められていて、静かで清楚な感じさえある。形はキッチリと決まる。ラストで白の長襦袢になるが、脱ぐことはない。
 独り語りは一条さゆりが語る“回想”がメインのように見えた。それも語る時期と語られる時期がともに移ろいながら象徴的なできごとが語られるという趣で、小沢昭一との会話のシーンはあっても、ステージや映画・テレビ出演の場面はない。どうにか演じたという感じがあるのは、店にガソリンをまかれて大やけどのシーンくらいだ。

 そう、この舞台では一条さゆりのステージを髣髴とさせることができないことが致命的だ。
 心情を飛び飛びに追っかけただけの独り語りの切り込みは弱くて、“反権力の象徴”とまでされた一条さゆりのパワーを感じることはできない。小沢昭一は一条さゆりのステージの「感動」を語っている。まずはステージの魅力を描き、そんなステージの魅力を形作っている一条さゆりの生き様を描いて、その全体像をうまく際立たせる仕掛けがほしかった。
 「私が独り芝居『贋作・一条さゆり』を演(や)ることは、ストリッパー若林美保のドキュメントだと思っています」と若林美保は言っているが、若林美保の魅力が十分に引き出されているとはいえない。若林美保は表情が豊かで表現の幅も広いのに一条さゆりと重なってこないのは、戯曲の欠点に加えて、その独り語りに知が勝ちすぎていてどこか冷たい感じがすることも原因している。この舞台を若林美保の「ライフワーク」とするにはかなり抜本的な改善が必要だろう。

 この舞台は秋山豊主宰のだらく館の「贋作」シリーズの1つで、北九州市海峡演劇祭2012での上演はきのうときょうで2ステージ。35席ほどの客席には少し空席があったが、A級小倉などへの来演も多い若林美保の熱烈なファンがみえていた。


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