まったく印象が違う多彩な場面が作り出す豊かなイメージでファンタジー性が強まり、ショー的要素が増してストーリーはどっかに吹っ飛んでいた。そんな、これまで観たものとどこか違っていたどくんごのテント芝居を、いちおうは楽しんだ。
開幕前、舞台には直径30センチほどの地球と、直径10センチほどの多くの星々がぶら下がっている。開幕時、奥の幕が開けられて宇宙服を着た俳優たちが月面でも歩くようにゆっくりと登場する。どこかカエルに似ている宇宙服を脱いで、カラフルな衣装を着て頭に虫の触角を着けた俳優たちは、それぞれに楽器を手に取って演出の どいの も入れた7人での演奏と歌が始まる。
それが終ると、UFOが描かれた幕を背景に宇宙と交信をしようとするシーンから始まるが、その交信できない冒頭シーンが象徴するようにこの舞台はコミュニケーションを扱っている。コントやモノローグや言葉あそびやシュプレッヒコールやダンスや道化芸やサーカス芸や生演奏などで構成されるパフォーマンスで、インパクトのあるシーンがパワフルに展開していく。
この舞台、これまでとは作風が変わったという印象が強い。パフォーマンス重視でそれぞれのシーンの独立性が高く、ときに続いたり繰り返されたりはするが、それらがなかなか繋がらずに脈絡がつかみにくい。
しばらく観ていて脈絡をつかむのをあきらめて、それぞれのシーンのおもしろさを楽しむように観る姿勢を切替えた。そうすると、天井からぶら下がってのフライング、6人の俳優が舞台と舞台裏をグルグル廻る追っかけ、テント外でのスティルツ(足長)や花火など、スペクタクル性のに高い楽しめるパフォーマンスが多いことに気づく。スペクタクル性の低いシーンでも、他の星と電話していて電話で“ごはん”が送られてくるようなシーンなど機知に富んで楽しめるところも多かった。
だけど、この舞台がコミュニケーションを扱っているというのも終ってから気がついたことで、観ている間はモチーフらしきものに気づく余裕はなかった。終ってから考えてみると、電話で“ごはん”が送られてくること、“身体”のなかに別の男の声が入った患者、“言いまちがい”の例 などコミュニケーションにからむものが多かったことに気づくが、からまないものも多くてまとまった想念にはならなかった。
出演者は、男3人・女3人の6人。男は、釣りをする医者、宇宙と交信しようとする男、オカマ。女は、中国服の芸人、アフロの女学生、看護師。もちろん多彩なパフォーマンスのなかで役に限定されずにそれぞれが演じる幅は広い。舞台の手触りがやや粗く感じられるのは、今年初参加の俳優が多いためだろうか。その分、力まかせに演じていてそこがアングラ風に感じられた。出演者が増えた分スペクタクル性は増したが、「ただちに犬」シリーズに比べると化け方の深度は浅くなった。
どくんごの舞台、満席の客席での観劇は初めてだ。これまでの観劇時のラフさが消えてどこか重い雰囲気に、舞台の感じ方まで影響されたかもしれない。「OUF」というはフランス語で“おやおや”とか“やれやれ”という意味らしいから、ラフに観てもいいのかもしれない。
どくんごは来年2015年の旅公演を休むことにしたという。再来年どんな舞台をみせてくれるのか、楽しみにしたい。
この公演は9日に福岡で観る予定で予約していたが、きょうの久留米での公演に変更してもらった。久留米では午後7時の開演なのだが、福岡と同じ午後7時半の開演だと思いこんでいた(HPの日程表には開演時間の記載がない)ので、変更依頼メールにも午後7時半開演の回と書いていたが、劇団からの返信メールには訂正はなかった。午後7時に会場に着いたら客席は満員の観客で開演直前だった。
会場には何人かの幼児がいた。わたしの席はその幼児の真後ろで、当然観劇に支障があった。幼児が2時間の観劇に耐えられるわけがない。未就学児の入場は制限するべきだ。
この舞台は久留米ではきょう1ステージ。ほんとに超満員だった。