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《2014.11月−10》

真摯な討論劇
【衝突と分裂、あるいは融合 (時間堂)】

作・演出:黒澤世莉
11月15日(土)13:05〜14:40 ぽんプラザホール プレゼントチケット


 初期の原発開発における事故をめぐる討論劇として、2011年の福島原発事故後のいまの状況を映し取っていて、見応えのある舞台だった。

 祖母が死んでその葬式の日、認知症の祖父・テツオが「ニッポンを救ったのはオレだ」と言い出す。テツオは1963年当時、原子力研究所で動力試験炉の運転の仕事をしていた。テツオの班が担当の日に動力試験炉の事故が起こった。

 平土間のぽんプラザホールの真ん中の正方形が舞台。舞台の正方形は平土間の長方形と45度ずらしていて、舞台を4方向から80席ほどの客席が囲む。舞台からは天井まで斜めに太目の紐が伸びていて、それに8個の白色タイプの電球が付けられている。天井から大き目の透明タイプの電球が8個ぶら下がっている。舞台にはパーカッションやおもちゃのピアノや鍵盤ハーモニカやリコーダーが置いてある。
 出演者は、研究所員などを演じるツアーメンバーが7人と、祖母の葬式に参加する家族・親戚の役で福岡公演にだけ出演するメンバー(福岡メンバー)が6人。福岡メンバーは、ツアーメンバーが演技しているあいだは舞台の外側に腰を下ろして楽器の演奏をしたりする。

 葬式がらみの短いシーンが終ると、場面は1963年の原子力研究所へ。動力試験炉の運転は3交替を4班構成で行っている。テツオの班は6人。ナマリ(班長)は優柔不断、ギンザは理論派、ドウモは組合役員、それにテツオの4人が男性所員。スズとスミの2人の女性所員は仲が悪い。そこに、村の小学教師・リン(女性)が加わる。
 のっけから動力試験炉の炉心温度が1000℃を超えるという事故だ。メンバーは協力して対応して何とか大事故にはならずにすむが、放射能漏れを起こしてしまう。その事故を公表すべきか?隠蔽すべきか?というので、所員たちは激論を闘わせることになる。
 その話に、所員たちが教師・リンとともに作っている、子どもたちに見せるための原発啓蒙劇の話と、視察の代議士・ヤマダ(ギンザの俳優が二役する)との話が絡んでくる。それらの人々が原発・原子力のありようを討論する、これが討論劇だということがわかってくる。

 それぞれの人物は典型的な立場や考え方を担って主張をし意見を戦わせるが、その前提となる原発の基礎的な知識を子どもたち向けの原発啓蒙劇として表現する。劇中の「核分裂」の表現などわかりやすくておもしろい。
 研究所員たちによる事故の“公表”vs“隠蔽”の議論の進行と絡めて、代議士・ヤマダとの原爆製造能力保持という国防上の理由から原発が必要だという意見や、長崎の原爆で家族を失った教師・リンの原子力忌避の意見などを挿入して、原発についての議論の幅を広げる。
 “公表”vs“隠蔽”の議論には、研究者としての理念や、原発事故の原発の将来への影響や、研究者としての保身など、班内の恋愛も含む人間関係にも縛られてときに感情的になりながらも、出口を見つける議論がなされる。

 討論劇としてこの劇団の「ローザ」は秀逸だった。ローザの墓前でローザに絡んだ各陣営を代表する人物が過去を振り返って議論するという、時間と空間の大きな広がりを一点に凝縮した緊密な討論劇で、ローザ・ルクセンブルグの生き様を彷彿とさせた。
 「ローザ」の話はもうほとんどが確定してしまった過去のことだが、原発はまさに現在進行形の問題で確定しないことも多いから、議論としてもむずかしい。そこをあえていろんな立場の人間がためにする議論も総花的に並べた。その分議論が発散して緊張感を欠いた部分があるのもやむを得ないが、現在のわれわれの立ち位置を示してくれる材料にはなる。
 これまでの原発開発の推進力は、エネルギーや国防といった理念よりも、工事費や開発費や補償といった巨大な利権への思惑だったはずだ。その結果としての2011年の福島原発の事故だ。そのあたりにもう少し触れてもよかった。

 この公演は、時間堂 [つながる] ツアー2014 [東京 大阪 仙台 札幌 福岡]の一環で、全国をともに旅する[全国メンバー](ツアーメンバー)と各都市のみ出演の[地域メンバー](この公演では福岡メンバー)の俳優を日本各地から33名集めて創作したものだ。ツアーメンバーに福岡から富田文子が選ばれている。
 演劇人との交流や集客上の理由からの[地域メンバー]なのだろうが、舞台を充実させるよりは発散させる方向に機能していたのが残念だった。
 この舞台は福岡ではきょうとあすで3ステージ。満席だった。


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