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《2014.11月−13》

パワーに溢れた舞台
【カルメギ (Doosan Art Center+東京デスロック+第12言語演劇スタジオ)】

原作: アントン・チェーホフ 脚本・演出協力:ソン・ギウン 演出:多田淳之介
22日(土)18:00〜20:30 北九州芸術劇場 小劇場 キタコレ(6演目)セット券13,500円


 チェーホフの「かもめ」を日帝時代の朝鮮に置き換えたこの舞台は、日帝時代の朝鮮の状況が原作を軋ませてエネルギーを発し、そこに困難な上演を実現させる熱情が加わって、パワーに溢れた舞台だった。

 日帝時代の1930年代後半、朝鮮の田舎にある邸宅。日本で活躍する大女優・ヌンヒを母に持つ青年・ギヒョクは、新しい芸術を模索して呻吟している。ギヒョクは恋人・スニムをヒロインにした芝居を上演するが、母の妨害で失敗に終る。スニムは、東京から来たヌンヒの恋人の作家・関口次郎に憧れ、その誘いに乗ってギヒョクを捨てて東京へ行ってしまう。

 チェーホフの「かもめ」の時代背景をあえて日帝時代に移して、もともと明るくはない原作にさらに暗く重苦しいバイアスをかけた。韓国人・ソン・ギウンが書いたそんな脚本を、こともあろうに日本人の演出家・多田淳之介の演出によって、日韓の俳優が演じてこの舞台を作り上げた。昨年ソウルで上演された舞台だが、日本で上演するのにも多くの緊張を強いられていることだろう。
 朝鮮が日本の植民地であった日帝時代には、朝鮮における日本人と朝鮮人の立場には天と地ほどの差があった。若いころに梶村秀樹著「朝鮮史」を読んで、朝鮮の苦難の歴史に息が詰まるほどの衝撃を受けた。そんな朝鮮の歴史のなかでも日帝時代は特に、朝鮮人にとって屈辱的で苦難に満ちた時代であったに違いない。日本人のわたしには、そんな時代についての韓国人の気持ちを想像はできても、自分の気持ちとして実感することはとてもできない。
 そういうことを考えると、日帝時代の朝鮮についての思いの落差が激しい日韓双方の人々に理解されうる舞台が存在しうるとはとても思えなかった。この舞台はあえてそこに挑んだ。韓国だけで、あるいは日本だけで閉じた舞台なら逃げも効くだろう。双方を納得させるにはさらに深めて拡げた視点が要るが、それだけで長い時間かけて心の底に溜まった滓を溶解できるとはとても思えない。それは、比較的客観的に見られる日本人よりも、韓国人に耐え難い感情を呼び起こすのではないか、と上演までのハードルの高さを想像した。
 そこを乗り越えて上演するためには量り知れない苦労があっただろうが、ギリギリのところで稀有の舞台を出現させた。困難な上演を実現する強い熱情が、暗く重苦しいエネルギーを暗いままに開放・噴出させて、舞台に大きな反発力を生み出して今にも鮮血が吹き出しそうな激しい瑞々しい舞台を作り上げた。

 登場人物の原作との異同は、次のようになっている(《 》内が原作の役名、〔 〕内が演じる俳優名)。
  リュ・ギヒョク 《トレープレフ》 〔イ・ガンウク〕 青年、チャ・ヌンヒの一人息子
  チャ・ヌンヒ 《アルカージナ》 〔ソン・ヨジン〕 大女優、リュ・ギヒョクの母
  チャ・ヌンピョ 《ソーリン》 〔クォン・テッキ〕 チャ・ヌンヒの兄
  ソン・スニム 《ニーナ》 〔チョン・スジ〕 地主の娘
  関口次郎 《トリゴーニン》 〔佐藤誠〕 作家
  イ・ジュング 《シャムラーエフ》 〔イ・ユンジュ〕 ソーリン家の支配人
  イ・エギョン 《ポリーナ》 〔オ・ミンジョン〕 イ・ジュングの長女 -原作では“妻”-
  イ・エジャ(愛子)《マーシャ》〔チェ・ソヨン〕イ・ジュングの末娘
  御手洗幸介 《メドヴェージェンコ》 〔夏目慎也〕 教師
  ドクトル姜 《ドールン》 〔マ・ドゥヨン〕 医師
  いさ子 《-原作になし-》 〔佐山和泉〕 看護婦
  ミョギ 《-原作になし-》 〔間野律子〕 朝鮮人の少年
 宗主国となった日本と植民地になった朝鮮という二重構造を如実に表すような人物設定だ。

 舞台を見ていこう。舞台は平土間で、一面に敷かれた新聞紙の上に家財類から流木のようなものまでが散乱している。ブラウン管テレビが4台、四方に向けて置いてあって舞台の映像が映っている。50センチ角ほどの大きな柱が2本、10メートルほどの間を置いて立っていて、その間を繋ぐ梁は60センチほども縦幅がある。舞台の両側に110席ほどの観客席が設けられている。
 開幕前から、平服の間野律子が初心者向けの韓国語のテキストを手に持って、舞台上をウロウロしている。その間野律子の観客に向けての「アンニョンハセヨ」から舞台は始まる。
 俳優たちは舞台の南東の角から登場して、ガラクタ類のなかで新聞紙を踏んで演技して、北東の角に退場していく。この流れは最初から最後まで変わらない。舞台中央にクローゼットが半分地中に埋もれており、その三角形になった地上部分がゆるい坂を作っていて、俳優たちはそこを乗り越えたり迂回したりして退場口に流れていく。
 韓国語と日本語が乱れ飛ぶが、韓国語のセリフの日本語訳は柱を繋ぐ梁に映写される。映像はほかに、開幕して少ししてこの時代までの歴史的な出来事が年表的に映され、最後にこの時代から現代までのそれが映される。舞台は静かな会話劇のところが大部分ではあるが、ときに“ボレロ”や“冬のソナタ”などが大音量で流され、天井から吊るされたミラーボールがまわり、カラオケマイクも使われる。

 冒頭に平服で登場した間野律子は、着替えて朝鮮人の少年になる。この少年は後半、軍服を着て鉄砲を持ち、他の人物を追いかけ追い越しながら舞台を疾走していく。受け取った旭日旗を首に巻いて鉄砲を担ぐシーンなどで、戦争に向かって進んで行かざるを得ない悲劇を象徴する。
 セリフは、全体的なスピード感を阻害しないように簡潔に刈り込まれている。会話は、話す人を頻繁に替えながらどんどん切り替わっていく。セリフはキレがよくて、鋭く切り込んだりすっとぼけたりと変幻自在で、全体的にユーモアがまぶしてある。エギョンに手を出し看護婦も孕ませてしまうドクトル姜が言う「ここには愛が多すぎる」というセリフが笑わせる。つい聞き逃してしまいそうになるが、朝鮮人の本音が見える「倭人に尻振る女」などというやや過激なセリフも挿入されている。

 演出にはこの舞台を作り出す緊張感がそのまま反映している。秀逸なのは、俳優たちが舞台の南東の角から登場して北東の角に退場していくという一方向性で、逆戻りしない歴史的な時間を意識させる。俳優たちが舞台を通り過ぎるスピードで時間の流れをコントロールしていく。舞台中央の斜めになったクローゼットに坂は、乗り越えていくべき障壁の象徴だ。普通は俳優が軽々と越えていくその坂を、ラスト近くギヒョクは越えられずに引き返す。
 演技について言えば、舞台のスピードについていけるように意図的に人物の彫りを浅くして、動きもしゃべりも大げささやくどさをていねいに排除している。そうして、ちょっとした表情や動きに意味を持たせていく。
 キャスティングについては、老いかけた大女優のヌンヒが若くて美人過ぎるのが気になった。スニムとの落差がもう少し大きいほうがいい。ヌンヒの女優としてのキャリアも、直接説明することはなくても、当時の演劇状況を踏まえてもう少し具体的なところを押えておけばもっと説得力を持っただろう。

 ギヒョクはスニムが去ってから2年後に再会するのだが、スニムの心はヌンヒと結婚した関口次郎に今もあることがわかって、ギヒョクは農薬を飲んで自殺する。チェーホフが喜劇と言った「かもめ」の悲劇性をドッと引き出して終るのだが、ライバルが日本人・関口次郎であることで単純な三角関係が軋んで変形することになる。黒いチマチョゴリを着ていたエジャ(愛子)は、日本人を夫としたラスト近くに和服姿で登場するが、そこからもはや単純な結婚以上の意味を受け取ってしまうことになる。
 そのようにこの舞台は、二重構造化された民族の問題を内包せざるを得ず、そのことによる違和感はときに異様な熱気を孕んで原作の構造を軋ませる。それがこの舞台のスプリングボードとなっている。
 冒頭の湖畔でのギヒョクの芝居の上演では省略されたスニムのセリフが、2年後の再会時のときにちゃんとしゃべられて強い印象を残す。この舞台はモチーフである“女優”についてもキチンと語っている。
 ラスト、幾度となく猛スピードで舞台を駆け抜けるキャストのなかに軍服姿で鉄砲を担いだ朝鮮人の少年がいる。猛スピードの先にあるのが爆撃で破壊されたこの廃墟だ。軋んでバラバラになった廃墟の上でこの舞台は上演されたのだ。
 この舞台、わたしはそれほど痛みを伴うことなく観ることができたが、韓国の人にはザワザワと胸の痛む舞台ではなかったのかと想像してしまった。

 この舞台は昨年秋にソウルで初演された。演出の多田淳之介は2008年から韓国で作品作りを続けていて、2009年からはこの舞台の脚本のソン・ギウンが代表である第12言語演劇スタジオとのコラボレーションを毎年続けている。この舞台は韓国で権威ある東亜演劇賞の作品賞、演出賞、視聴覚デザイン賞を受賞している。
 脚本のソン・ギウンは、昨年の日韓演劇交流センター主催の韓国現代戯曲ドラマリーディングで「朝鮮刑事ホン・ユンシク」が上演されたほど実力のある劇作家だ。日本語も堪能で、「平田オリザ戯曲集」の韓国語訳を行っている。BeSeTo演劇祭への参加など、日本との関係も深い。チェーホフの一晩物の戯曲を日帝時代に置き換えることはこれまでもやってきたということだが、その経験がこの舞台でも生きている。
 この舞台は北九州ではきょうとあすで2ステージ。わずかに空席があった。


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