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《2014.11月−14》

あと味の悪さ、それも狙い
【鴎外の怪談 (二兎社)】

作・演出:永井愛
24日(月・祝)19:05〜21:40 北九州芸術劇場 中劇場 2,800円


 森鴎外が大逆事件とどう関わったかを描くこの舞台は、厳しいテーマを取り上げたガチの舞台でありながら、軽快にすっきりと演劇の楽しさに溢れている。ただラストは晦渋であと味は必ずしもよくないが、それもまたこの舞台の狙いだ。

 政府高官と文学者という2足のわらじを履き続けた森鴎外が、大逆事件にどう関わり、事件についての政府高官としての立場と文学者としての立場の違いからくる葛藤にどう落し前をつけていったか。大逆事件判決前後の5ヶ月間の鴎外を描いた舞台だ。

 浜田雅代氏によれば、「鴎外と大逆事件には非常に大きな影響関係があり、文学者森鴎外の分岐点であったと言っても過言ではない。この言論を取り締まる側の政府(体制派)の近くににいながら文壇では言論の自由を訴えたという矛盾した立場に対して、『体制派』『傍観者』『抵抗者』と様々な議論がされてきた。現状ではおおむね『抵抗者』の対場であったという見解で一致している」という。
 この舞台も、鴎外を「抵抗者」として描いている。若いころドイツに4年間留学し西欧の科学・文化に触れて深い影響を受けた当時第一級の知識人である鴎外は、豊かな感受性と合理的な正義感からくる思いを作品として表現した。政府高官の立場だから作品の発表には明示・暗示の圧力があっただろうし自制もしていたのだろうが、発表した作品が物議をかもして方向転換させられるという苦渋を鴎外は幾度も舐めている。
 そんな矛盾したところにいる鴎外には、大逆事件での国家権力の横暴に激しい憤りを感じながらも、国家権力の一翼を担う自分の立場を捨ててまで国家権力の横暴に抵抗するべきか、という葛藤が渦巻いていた。この舞台は、そんな葛藤のなかにいながらもできる限りの抵抗を試みた鴎外の生き様を描いていく。

 舞台は、鴎外宅2階の書斎兼応接間。中央にやや重厚な木製のテーブルと椅子があり、下手の壁が書棚になっていてその前に書き物をする机がある。上手には別室の丸窓が見え、奥が廊下と窓で、外からの声も聞こえてくる。1階からの階段は上手奥にあるのだが客席からは見えない。梁の上には細い板で骨組みだけを作った屋根がある。
 時は明治43年(1910年)。48歳の鴎外は、3年前に軍医のトップである陸軍省医務局長に就任している。登場する鴎外の家族は、妻・しげ、母・峰の2人で、それに女中・スエ。鴎外の18歳年下の妻のしげと鴎外は8年前に結婚していて、2人とも再婚。しげは3人目の子どもを身ごもっている。お家大事の鴎外の母お峰も同居していて、しげとは仲が悪い。女中のスエはどこか訳ありだ。
 家族以外の人物は、旧友・賀古鶴所、弁護士・平出修、編集者・永井荷風の3人。賀古鶴所は鴎外の出世が第一の「体制派」、平出修は雑誌「昴」の編集者でもある弁護士で大逆事件の弁護を担当する「抵抗者」、永井荷風は「三田文学」の編集者で「抵抗者」、という位置づけだ。
 明治43年の秋から翌年にかけての鴎外まわりの5ヶ月間を2幕5場で描く。その年5月に大逆事件の検挙が始まった。9月には東京朝日新聞の連載「危険なる洋書」に鴎外と妻・しげの名が掲載された。舞台はその直後から始まる。鴎外は山縣有朋のブレーンだが、捏造された大逆事件の逮捕者たちを厳罰に処すという政府方針案への異議申し立ては、自分の首が危なくなるのでどことなく逃げて政府方針案を追認することに。片や、大逆事件の弁護士・平出修には冤罪の逮捕者たちの弁護のための知恵を授ける。そうして鴎外の身が「体制派」と「抵抗者」に引き裂かれることになる。

 ていねいに作られた舞台は生き生きとしていて、良質の舞台を観られる楽しさがある。よけいな雑音のない演技で人物の特徴を強調してその個性をクッキリと出し、それらの人物の絡みも対立点は具体的でスッキリとしている。
 語られるエピソードは多彩だ。いちばんは「舞姫」のエリスのモデルといわれるドイツ人女性(劇中ではもっぱらエリスと呼ばれる)とのことだ。鴎外を追ってはるばる日本まで来たその女性との結婚を反対された鴎外は、結婚をあきらめてさせてドイツに追い返した。そのことに悔恨の情を持っていてエリスのことはいつも鴎外の頭にある。ほかにも、鴎外が見た「浦上四番崩れ」の流刑先であった津和野の乙女峠でのキリシタンの苦難などが語られる。永井荷風・平出修との社会論議や文学論議もうまく整理されてドラマと絡んでいる。ただの女中だと見えたスエが実は、大逆事件で捕まり死刑になる新宮の医師・大石誠之助を助けたい一心で鴎外家の女中になった超「抵抗者」であったことがわかってくる。
 大逆事件の被告26名のうち24名が死刑という判決が出た日の夜、鴎外は自分の将来を擲って山縣有朋に判決を見直すように進言に行こうとする。猛反対の賀古鶴所との仲は決裂するが、鴎外の本音の独り言を聞いた妻の同意は取りつけて、いざ行こうとすると、勇ましいいでたちで長いなぎなたを持った母・峰が「“家”を守る!」と立ち塞がってもみ合うことになる。結局、“忠”も“情”(正義感)も“孝”に負けた形となって、鴎外は山縣有朋に進言に行くことをあきらめる。

 何とも中途半端でほろ苦い結末だ。心地よく終らりたいのに、ラストの詰めが甘くてウェルメイドプレイにならないことに不満を感じてしまう。
 だが待てよ、と思って考える。鴎外はスーパーヒーローではない。生身の人間にはそう簡単には現状を変えられない。鴎外もこの時期以降も政府高官を続けている。このガチな芝居のラストは、晦渋なままに放置するよりないのだ。
 俳優たちは生き生きと演じていた。金田明夫(森鴎外)は演技臭を感じさせないほどの名演で、水崎綾女(森しげ)は鼻っ柱が強い役を実にかわいらしく演じた。大方斐紗子(森峰)はほんとに元気で魅力的だ。若松武史(賀古鶴所)は落ち着いた演技だった。ほかの若手にはもう少し陰影がほしかった。

 この舞台は北九州ではきょう1ステージ。満席だった。


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