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《2014.12月−2》

杉村春子を見たいんだ
【女の一生 (文学座)】

作:森本薫 補訂・演出:戌井市郎による 演出補:鵜山仁
8日(月)18:35〜21:20 博多座 3,430円


 2010年に亡くなった戌井市郎演出の舞台を鵜山仁が引き継いで演出したこの舞台は、先行の舞台をなぞっているという印象が強くて、鵜山仁らしいキレに乏しい舞台だった。

 明治38年、育てられていた叔母の家を抜け出して貿易商の堤家に迷い込んできた布引けいは、拾われて堤家の女中となった。堤家の当主は亡くなっていて、その妻・しずが弟・章介とともに商いを続けていた。けいはしずからその闊達な気性を見込まれて長男・伸太郎の妻となるよう頼まれ、次男・栄二に寄せていた思慕を断ち切って長男・伸太郎と結婚する。

 文学座の「女の一生」を初めて観たのは1968年に福岡市民会館でだった。そのときは席が悪かったこともあっていい芝居だとは思わなかった。その後にも観る機会があって次第にその魅力がわかってはきたが、「女の一生」のすごさを見せつけられたのは1961年上演の舞台の映像によってだった。数年前に劇団新派の「女の一生」を観たときにはこの戯曲のよさを改めて感じた。
 文学座の「女の一生」は1945年に久保田万太郎の演出で初演され、その後、戌井市郎の演出作品として再演を重ねてきた。映像を見た1961年上演の舞台の演出は久保田万太郎で、補訂・演出が戌井市郎。主な出演者は、杉村春子、賀原夏子、宮口精二、北村和夫、南美江、丹阿弥谷津子、村松英子、三津田健、近藤準、加藤武、名古屋章、北村真知子と、文学座分裂前の潤沢な俳優群から選び抜いたものすごいメンバーだ。久保田万太郎の演出はほんとにキレがよくてみごとなテンポで、この舞台は新劇史上最高といってもいい舞台だ。

 杉村春子主演の「女の一生」の上演回数は947回になるというが、多くが戌井市郎演出だろう。1996年に杉村春子自身の意向により生前に布引けい役を平淑恵にゆずり、その平淑恵の「女の一生」は戌井市郎演出で今回の上演前までの上演回数は269回を数えるという。今回の上演は、戌井市郎の演出を鵜山仁が引き継いだ形で行われる。
 初演から時代が下って、演出から久保田万太郎の名が消えて戌井市郎だけになると、演出のキレは悪くなり、文学座の俳優がだんだん個性がなくなってきたこともあって舞台の質は低下する。今回、演出補として鵜山仁が引き継ぐならば、久保田万太郎演出に戻したうえで引き継いでほしかったと思う。でないと鵜山仁が関わる意味が薄くなる。
 「女の一生」は文学座にとって歌舞伎における「忠臣蔵」らしい。今回の上演は九州の演劇鑑賞団体からの要望がきっかけになっているというが、本気で平淑恵の「女の一生」が観たいというのではなく、杉村春子の「女の一生」を思い出すために上演を希望したのではないかという気がする。今回の「女の一生」はそういう要望をみごとに満たしている。

 当たりまえと言えば当たりまえかもしれないが、舞台は戌井市郎演出の杉村春子版そのものだ。装置も衣装も照明もほとんどそのままで、演技もほとんどそのままだ。平淑恵の演技は杉村春子をなぞっていて、平淑恵がはっきりと杉村春子に見える瞬間がたくさんある。杉村春子を見たいと思っているから平淑恵が杉村春子に見えてしまうのか、杉村春子そっくりに平淑恵が演じているから杉村春子に見えてしまうのか。たぶんその両方だろう。
 他の俳優はどうか。これまでの名演をなぞっているがそこまでで、演技の幅が小さくて則を超えることはないために人物の個性が出ない。例えば、長男・伸太郎と次男・栄二にはライバル心があるはずだが、人物の個性を捉えてのそういうものの繊細な表現は弱い。そのようななぞってもなぞりきれない部分に加え、弟・章介のように明らかにミスキャストでなぞるだけではどうしようもないという部分もある。
 そのようななぞる演技は、演出のやりようがないように見えた。演出者としても本意ではないだろう。いったん壊してしまって作り上げれば、これよりは生き生きした舞台になっただろう。

 この舞台は福岡市民劇場12月例会公演で、博多座で8日から12日まで6ステージ。3階席などに少し空席があった。
 ももちパレスが改装中のために今回は博多座での上演で、福岡市民劇場例会公演が博多座で上演されるのは初めてのはずだ。


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