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《2014.12月−5》

喰い足りない舞台
【ぼくのおばさん (きらら)】

作・演出:池田美樹
12日(土)19:05〜20:40 ゆめアール大橋 小劇場 招待


 前作「踊り場の女」(第14回AAF戯曲賞受賞最終候補作品)は、作者が実年齢に近い目線で中年期にさしかかった女性の心情を引き出していていい舞台だった。
 この「ぼくのおばさん」では20歳のフリーター目線に戻ってしまっていた上に、くどい説明の割には肝心なことが語られず、いろいろやっている割にはよけいな遊びごとも多くて、喰い足りない舞台だった。

 20歳の急一は父が亡くなり叔母・八重子と二人暮らし。父が残した家が道路拡幅に伴い解体されて売却されることに。そんなところに20数年音信不通だった伯母・千代子が現れる。

 遺産相続をめぐる八重子と千代子のバトルかなと思って観ていると、父が残した商店街にあるレストランは解体費用がかかっていくらも残らないらしいから、千代子の現れた目的は相続財産目当てではなさそう。だったら何のために現れたのかな。それにしても、いくら解体費用がかかってもレストラン跡地の地価が解体費用並みなんてことがあるのかな。
 八重子はパートで自前の生活で手いっぱい。急一は学費もバイトで稼いでいるんだとしたら授業料未納は相続とは関係はないはずなんだけど、いかにも関係あるような描き方は何でかな。八重子といっしょがイヤで友だちのところを泊まり歩いていた間に大学からの授業料未納による除籍予告通知が着いていて、それを見られずに除籍になったというのも不自然で納得し難い。
 そんなふうに前提となる状況がラフ過ぎて、メインの3人の立ち位置がぼやけたままだ。だから、急一と八重子、急一と千代子、八重子と千代子 の対立が対立にならないし、何も乗り越えるものがないから、全編状況説明に終始していてドラマにならない。エピソードが絡まずに「腐れマンコ死ね」とか「千円女」とかいう過激なセリフも浮いてしまう。高田みづえの「硝子坂」も取ってつけたような感じだ。

 千代子の出現は少年ドラマの“きれいなおねえさん状態”を作るが、20歳の男にそんな状態が必要かぁ。千代子が急一を誘惑して関係でも持てば面妖になっておもしろいが、期待を持たせながらもそこまでは踏み込めない。
 描かれている八重子と千代子の対立は性格の違いから来る単純なもので、2人の性格と生活信条と生き様の違いがほとんど描けていないために、とうていバトルになるレベルではない。父と離婚した急一の母のことも併せて40代女性の心情に肉薄して対立軸を見つけてそれをぶつけ合うことができたならば、それを見つめる20歳男性という世代の差もクッキリとしたはずだが、急一が影響を受けるほどのことを千代子も八重子も母も語らないし、ほとんど何もしてもいない。

 表現はかなりくどい。それが端的に顕れているのが急一のセリフだ。相手役との会話も説明ばかりだが、それに加えて説明調の独白と観客に向けての説明が加わってほんとにうざい。そこを何とか演じきるように努力するよりもセリフを削ればいいだけのことだ。
 行政書士に取材した結果が取り込まれているようだが、行政書士の視点に限定され過ぎている。司法書士や弁護士や不動産業者への取材があればもっと説得力が出るが、家の処分はメインの話ではないからそこまでやらなくていいか。
 演出はいかにもこの劇団らしくファッショナブルで小技も小気味よくて、そこだけ見ている分には楽しめはするが、そんなことでは戯曲の欠点はとてもカバーできない。作るほうが楽しみすぎている感じなのも気になる。
 磯田渉(急一)のガンバリは伝わってきた。宗真樹子(千代子)は色っぽくて魅力的だ。オニムラルミ(八重子)は表情がワンパターンなのが気になる。手島曜は行政書士役でいろいろやるけど纏まり過ぎ。千代子の愛人役まで演らせればよかったのにぃ。

 ラスト、急一は休学料10万円を払って大学を休学するけど、どうしてそうなったのかな。千代子とはケータイが繋がらなくなったが、心中でもしたのかな。
 ゆめアール大橋の大練習室の一角を幕で囲んで舞台と客席を作っていて、観劇の楽しさは感じさせる空間作りではあった。
 この舞台は福岡ではきょうとあすで3ステージ。満席だった。


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